祈りの家族への手紙:2000-09

 
 親愛なる祈りの家族の皆さん!

 ミレーの「晩鐘」という絵をごらんになったことがありますか。そこには一日の労働を終えて感謝の祈りをささげている人々の姿が画かれていて、見る人に大きな感動を与えます。

 多くの人が、神を信じることは弱い人のすることだと思っています。「祈ることは自分の力で自分の運命を切り開いていく努力を怠ることだ」と言う人もいます。しかし、本当に強い人は、全てを知り尽くしておられる全能の神の前に出て自分自身と真剣に向き合うことのできる人です。自分の力の限界を認めて、全てのものの造り主であり、全能者であられる方の前にひざをかがめることはむしろ大変に勇気のある行動です。ですから、神に祈ることでその人が他の人と比べて、弱い人だと言うことはできません。祈る姿にこそ、その人の人柄が現われるのです。しかし、最も大切なことは、その祈りが本当の神に向けられているかどうかということです。

 私はイスラエルに行った帰りに、航空機のトラブルのためイランのテヘラン空港で何時間も待たされたことがありました。待合室は混んでいて、場所がらイランの方が大勢いました。しばらくすると、大きな体をした一人のイラン人が居眠りをしていた椅子から立ち上がり、コンクリートの床に毛布をしいて、そこに立ったり座ったりしてお祈りを始めました。いかにも強そうな毛むくじゃらの大男が顔を地にすりつけて祈っている姿は多くの人の注目を浴びていました。

 私は彼のように大胆には祈っていなかったことを反省して、救い主であり全能の父なる神に語りかけて祈りました。私の場合は、椅子にかけたまま静かに祈ったので、おそらく誰の目にもとまらなかったことでしょう。それからというものは、私はどこへ行っても、時間のある時はいつでも、出来るだけ神に語りかける祈りをするように心がけています。

 祈ることが大切だからと言っても、神から与えられている素晴らしい能力の数々を力いっぱい試す努力を惜しんではなりません。困難や必要が生じた時、神の助けを求めて祈ることは良いことです。けれども、神から与えられている知恵や力を用いることも大切です。神に目を向けないで、ただ困難から逃げるための祈りにならないためにも、祈る時には真剣に神と向き合うことを忘れないようにすべきです。

 願いごとが祈りの全てではないのですから、特別な場合以外には祈りを願いごとから始めないようにしてください。願いごとを神に知っていただくことは決して悪いことではありませんが、クリスチャンの祈りは願いごとが中心ではありません。祈りは全知全能の神をほめたたえ、神に感謝することから始めるべきです。

 イエスは「このように祈りなさい」と言って「主の祈り」と呼ばれている祈りの手本をお示しになりました。その祈りは、天の父なる神をほめたたえることから始まり、神に栄光を帰することによって閉じられています。願いごとはその中間におかれているのです。神の力に頼り、何かを願うことは良いことです。しかし、その時には神の全能の力を認め、ほめたたえ、感謝し、神にはそれが出来ることを信じて、真剣に願うべきです。疑いながら中途半端な信仰で願うべきではありません。

 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。(ヤコブ1章6、7節)

 祈りはいつも全力投球であるべきです。念のために祈っておくと言うような祈りはありません。

 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。(マルコ12章30節)

 人が祈っている姿に感銘を受けるのは、そこに真剣さがあふれているからです。真剣に祈り、何かが起こることを信じて期待するのです。そうすれば、あなたの行く道をふさいでいた山は動き海に移るのです。そうでない祈りは、偶像礼拝と同じです。偶像礼拝には何も良いことは起こりません。

 だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11章23節)

 祈りは神との対話です。「神と対話する」と言うと、モーセが神と出会った時のように特別な出来事と感じるかも知れませんが、いつもそうとは限りません。求める者に神は答えてご自身を現してくださいます。神と対話することは霊的な呼吸をするようなものです。いつでもどこでも出来ることです。また、それが生き生きとした信仰を保つことの秘訣です。

 聖書を学びこれを心に蓄えることを霊的な食事にたとえるとすれば、祈りによって神と対話することは霊的な呼吸です。神に語りかければ、神もあなたに語りかけてくださいます。

 神と対話すると言っても特別に神秘的な体験をしなければならないと言うわけではありません。神は生きておられ、人格をもっておられます。ですから、あなたが語りかけるならそれに答えてくださるのです。

 空を見上げてください。神はこの上ない愛と思いやりによって人類を特別に用意した地球の上におかれました。地球ほど住みやすい調和のとれた環境の星はまだ見つかっていません。

 イエス・キリストを見上げてください。神の子が人類の罪を全て身代わりに背負って神との和解の道を開いてくださいました。神は恐ろしい方ではなく、あなたの味方となられたのです。

 神に近づきなさい。そうすれが、神はあなたがたに近づいてくださいます。(ヤコブ4章8節)

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛