祈りの家族への手紙:2000-10


 親愛なる祈りの家族の皆さん。 
 あなたは今、自分の力には及ばないような大きな問題に直面してはおられませんか。

 あるいはそのようなことで過去に悩んだ経験がありますか。

 私たちはしばしば「こんなことは不可能」と初めから思い込んでしまうことがあります。

 人間が空を飛ぶことは不可能だとか、人が月へ行って帰ってくることなど出来るはずがない、そう思って何もしなかったら今まで何も起こらなかったことでしょう。

 しかし、不可能にあえて挑戦するところに進歩が生まれます。特に、全能の神の力を信じているクリスチャンは不可能も可能になることを知っています。

 モーセがエジプトで奴隷になっているイスラエルの民族を解放する役割を神から命じられた時、「私には出来ません」の一点張りでした。(出エジプト3章―4章)

 確かに強力な軍隊を持っているエジプトに素手で対抗するのは並大抵の勇気では出来ません。また、二百万人からの民族を一つにまとめて連れ出すのも大変な仕事です。しかし、命じておられるのは全能の神であり、神が共に行って下さるというのですから、これほど心強いことはありません。ところが彼は「出来ません」と言い続けたのです。人間的にはそれがどんなに大変な仕事か良くわかります。その上、彼は40年前に自分から進んで仲間の争いを仲裁しようとして苦い思いをした経験がありました。しかし、今度は違います。神が命じておられるのです。

 ついに彼が神の命令に従ってその役目を実行し始めると、彼には素晴らしい力が与えられていました。そして、次々に奇跡としるしを現わしてエジプトの王を屈服させ出エジプトを成功させました。それゆえに、モーセはイスラエルの偉大な指導者の一人と呼ばれています。

 大切な人生を、これも不可能、あれも不可能と言って過ごさないで、それを可能にしてくださる方のことを思い出しましょう。

 イスラエルの民族と共に40年間過した荒野の生活においては、モーセでさえ神の全能の力を何度も再確認する必要がありました。神の力を忘れたのでも疑ったのでもありません。それでも、彼のもとに毎日のように困難な問題が持ち込まれてきます。そのたびに神の力を再確認する必要があったのです。私たちならなおのこと、神の力が私たちの上に注がれていることを毎日思い起こす必要があります。そうすれば、いつでも「出来ません」の一点張りという消極的な態度はなくなっていきます。

 「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19章26節)

 イエスの弟子たちもそうでした。多くの奇跡をまのあたりに見て来ましたが、イエスが去って行かれるときになると不安でいっぱいでした。するとイエスはこう言われました。

 「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15章5節)

 ここで注意しなければいけないことがあります。実を結ぶのは幹ではなく枝です。イエスは私たちに力をくださいますが、実を結ぶのは私たちです。

 私たちはしばしば労苦し、戦い、耐え、挑戦し、何とかしてやり遂げようとします。それは経験と訓練とに大いに役立ちます。しかし、力の及ばないことや大きすぎる問題に直面したとき、あるいは、大きなことに挑戦しようとする時は、不安と心配でいっぱいになってしまいます。自分の力が及ばないことがわかるからです。しかし、それでもいいのです。もともと、神の助けなしには私たちは何も出来ないのです。ただ、イエス・キリストにしっかりとつながっているなら、神の力がそれを可能にしてくれます。不可能と思っていたことが可能になって来るのです。

 イエスは言われました。

 もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイ17章20節)

 そのようにすばらしい神の力が私たちの人生に注がれるために、私たちはどうすればイエス・キリストとつながることが出来るのでしょう。

 人は神と等しい性質を持った者として造られました。逆に言うと、神も人と同じような人格を持っておられるということが言えます。

 あなたが考えたり感じたりするのと同じように、神も考えたり感じたりなさるのです。私たちが喜んだり悲しんだりするように、神も喜んだり悲しんだりなさいます。

 もちろん、神は私たちより遥かに優れて偉大な方ですから、私たちとは程度も質も違います。それでも、神が人格を持っておられ、人が神に似た者として創造されたことには深い意味があります。人は神と人格的な交流を持つことが出来るのです。

 人と人との付き合いですら、100年そこそこの間では、どんなに身近な人でさえ十分に理解し合えるところまではいきません。まして、全能の神を知るためには私たちの一生はあまりにも短か過ぎます。けれども、本当に幸いなことに神の側では私たちを知り尽くしておられるので、私たちが神に対して心を開きさえすれば神は私たちにとって身近な方となってくださいます。

 そして、私たちが神との交流を持つことで、神の無限の力を現実的に知り、それを自分の人生に適用することが可能になるのです。ですから、あなたが神との正しい関係を持つことによって、不可能を可能にする神の力をあなたの毎日の生活に生かすことができるのです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛