親愛なる祈りの家族のみなさん。
あなたはどんな時一番幸せだとお感じになりますか。
ものごとが思い通りに順調に達成された時でしょうか。人に誉められ拍手喝采を受けた時でしょうか。それとも、ほしいと思っていたものが手に入った時でしょうか。
スポーツ大会や音楽会では多くの人たちが栄誉を勝ち取った幸せを味わっているに違いありません。しかし、栄誉を受けたその瞬間から、タイトルや記録の保持者としての責任や人々の期待に対する重荷が始まります。あるスポーツの選手は多くの人々から期待されて、その重荷の大きさのために「いつもそこから逃げ出したいと思っていた」と告白しています。栄誉を受けた喜びは一瞬の間だけだったのです。すぐに、辛い、大きな目標への挑戦が待っています。
では多くの富に恵まれることはどうでしょう。ほしいものが手に入ったとき幸せでしょうか。
不況が続き事業に行き詰まる事の多いこの頃です。物質的に豊かであることは誰もの願いです。神も私たちが霊的にも物質的にも恵まれていることを願っておられます。
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(ヨハネの第三の手紙2節)
けれども、物質的な豊かさも、実際には単純に幸せをもたらすとは限りません。今の豊かさへの感謝を忘れ、もっと豊かになることだけを求めるなら、そこには誘惑と心配が満ちていると聖書は教えています。
働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。(伝道の書5章12節)
富むことだけをもとめて思い描く物質的な豊かさは、実際とは違った幻想的なものです。
文明国ではあるのがあたりまえだと思われているものさえ手に入らず、欠乏と不便に悩んでいる人々が地球上にはたくさんいます。それでも私たちはその貧しい人々よりも幸せだとは限りません。
富と知恵に最も恵まれていたと言われるソロモン王はこう言っています。
不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。(箴言30章8、9節)
アメリカのマクドナルドに「ハッピーミール(幸せな食事)」というメニューがあって、子供の人気を集めているそうです。親たちが、もっと栄養のあるまともな食事を注文するようにすすめても、ハッピーミールの魅力にはなかなか対抗できません。ハッピーミールの内容は、子供たちの喜びそうなチキンナゲットやポテトとちょっとしたおまけと、それに大掛で楽しい宣伝でした。すでに200億食を売ってハッピーになっているマクドナルドのイメージが、子供たちの心に黄色いマクドナルド型の穴をあけてしまったようです。子供たちはその穴を埋めない限り幸せを感じなくなってしまったのかも知れません。そうした仕組まれた幸福感を持つのは子供たちだけではありません。ブランド物を身につけ、高級車にのることは少し高くつくハッピーミールの大人版です。
こういう幸せは長続きするようにはできていません。
罪により幸せの基準が曲げられてしまっている人類にとって、物質的な豊かさはしばしば破滅の道具となります。神が与えてくださる豊かさを逸脱して、限りない欲望へとかりたてられるなら、その行きつく先がサラ金地獄と家庭破壊という結末であることも決して珍しくはありません。
神は私たちに必要なものを全て与えてくださっているか、あるいはこれから与えてくださいます。それを超えて更に大きな満足を追いかけても、私たちの幸せはそこにはないのです。
肉体的な健康も誰もが求めているものです。誰でも健康で長生きできることを願っています。積極的にそれを心がけて、朝早く起きて走ったり体操をしたりする人をよく見かけます。私も見習いたいと思っています。しかし、皮肉なことに、健康のありがたさとすばらしさを一番よく知っているのは、それを失った人たちです。健康のありがたさを感じるのは病気になった時、すなわち健康を失った時です。多少不充分でも健康な体に感謝し、その健康を精一杯良いことに用いたいものです。失ってからその価値に気が付くのでは遅すぎ、あまりにも残念です。
ジョニーという名の男の子がいました。ジョニーは活発で朝から晩まで元気に遊びます。そのために服や靴はすぐにぼろぼろになって新しいものを買わなければならなくなります。毎日たくさん洗濯をしなければならず、おもちゃもすぐに壊れてしまいます。ジョニーのおかげで家の中はひっくり返っていてお父さんとお母さんは大変でした。「ジョニーはどうしてこんなに面倒をかけるのだろう、お金だってかかるし、本当に困った子だ」といつも愚痴をこぼしていました。ところがある時、ジョニーは重い病気にかかって、かわいそうにとうとう亡くなってしまいました。ジョニーがいなくなって、お父さんとお母さんの悲しみは大変でした。「どんなに面倒をかけてもいい、どんなにお金がかかってもいい、元気なジョニーが生きてさえいてくれたら」と思いました。しかし、もうジョニーはいません。
私たちは、神が今与えてくださっているものにもっと注意して、感謝すべきです。今与えられている持ち物、健康、友人や家族、それらの物が今あなたに満足と幸福を与えてくれるからです。しかもそれは、いつまでも続くものではありません。永遠に続くものはこれから来るものです。特に、私たちは家族や愛する者たちを大切にし、感謝すべきです。彼らとともに過ごす地上の生活はほんのわずかの間です。しかし、いつまでも続くものがあります。それは、魂の救いと永遠のいのちです。
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。とイエスも言われました。(ヨハネ6章27節)
信じる者が永遠の命と栄光の体を与えられ、神の国の住民とされることは、救い主、イエス・キリストを与えてくださった神の約束です。クリスマスはそれを確認するときです。
そこで、今年もあなたの愛する人々の魂の救いのためにお祈りしましょう。その方々の名前を書いてお送りください。毎年、クリスマスにはハンバード牧師と共にそのために祈ります。
あなたが愛する人々との地上での関係を大切にすると共に、彼らの魂が救われて永遠においても共に過ごすことが出来るよう祈りましょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛