祈りの家族への手紙:2000-12

 
 親愛なる祈りの家族のみなさん。
 主があなたのすぐそばに来られたとしたら、どのようにそれが分かると思いますか。

 主イエスがそば近くに来られたときには、いつでもすぐに分かるようでありたいと私は願っています。

 「わたしは、戸の外に立ってたたく。」と主は言われました。(ヨハネの黙示録3章20節)

 ですから、私たちが注意深く心を澄ましているなら、イエスが心の戸のすぐ外に立っておられるのが分かるに違いありません。

 けれども、イエスはいつでも白い衣を着て、いばらの冠をかぶってあなたの前に現われるとは限りません。しかし、外側の姿かたちとは関係なく、イエスを愛する者には必ず分かるのです。

 ある看護婦さんがこんな話をしてくれました。

 「救急医療室に永年勤めている私は、自分でも痛さをあまり敏感に感じなくなってしまいます。なぜなら、もっとひどい状態の患者さんを毎日見ているので『これぐらいの痛みは何でもない』と思うようになってしまうからです。それはとても恐ろしいことです。

 ある時、薬をたくさん飲んで自殺をはかった娘さんが母親につきそわれてはこばれてきました。

 母親は心配と混乱の上に、警察からもいろいろ聞かれて疲れきっている様子でした。

 応急手当の後、私は患者の記録をとっておくために母親に質問をしなければなりませんでしたが、顔を見ることもせず事務的な質問をして書類に書き込みました。書類が出来たのでコピーをするために立ちあがった時、主がこう言っておられるような気がしました。

 『あなたはわたしの顔さえも見ようとしなかった』。

 私は驚いてあたりを見回しましたが、患者さんとそのお母さん以外にはいません。

 すぐに気が付きました。主がこの親子を通して私を訪れておられるのに、私はそれに気がつかなかっただけでなく、顔を見ることさえもしなかったのです。私はその場にひざまずいて悔い改めました。そしてすぐに母親のそばに行き手をとって心をこめて言いました。

 『私たちは最善をつくしていますから心配はありません。娘さんはきっとよくなりますよ。』すると母親は、娘がわけもなく荒れはじめたことや、心の対立や家庭環境の問題などを涙ながらに打ち明けました。そこで病院のカウンセラーやその他の公的機関の助けが受けられることを知らせることができて、その母子家庭は問題解決に向かい始めたのです。」


 主イエスはご自分が再びこの世に来られる時のことを、たとえ話でこうお語りになりました。

 王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

 このたとえ話しをこう結ばれています。

 『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(マタイ25章34-36、40節)

 2000年前の最初のクリスマスのときにも、人類の救い主である神の子がこの地上に来られたのに、それを知ることが出来た人たちは多くはありませんでした。

 なぜなら、全宇宙をお造りになりそれを今も支配しておられる神が人となってこられたのに、栄光に輝く王の王としての姿で立派な宮殿の中で生まれたのではなく、旅の途中にひっそりと馬小屋の中でお生まれになったからです。

 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。(イザヤ53章1、2節)

 その方が全世界の人々を救う神の子であるのを知っていたのは、マリアとヨセフ、そして、星のしるしを見てはるばるとたずねて来た東方の博士たち、み使いから知らせを受けた貧しい羊飼いたちなどほんのわずかな人たちだけでした。そして、全人類の救い主が貧しい大工の子としてガリラヤの田舎で育てられたのです。

 目に見えない神を見るのに、肉の目だけで見ることが出来るはずがありません。霊の目を開いて見るなら、そこに今も働いておられる業を通して神の姿を見ることが出来るのです。救い主の到来を待ち望んでいた人々や神を心から愛する人々にはそれがはっきり分かったのです。

 私たちはイエスがお生まれになってからすでに2000年後の現代の世の中に住んでいます。外面的には大きな進歩をとげ、豊かになったように見えますが、霊的には未だにはっきりと目が開かれていません。そのために多くの人々が本当の神を知らず、救い主も知らず、神ではないものを神としています。

 神を知らず、神を神として崇めていなければ、人を思いやるやさしい心も育ちません。本当の愛は神から来るものだからです。多くの人々がそれを失っている現実を、毎日の色々な事件の中にみせつけられます。

 このクリスマスの時期に、一人でも多くの人が、戸の外に立ってたたいておられるイエスに対して心の扉を開いて迎え入れることが出来るようにと願っています。

 イエスは今も生きて、私たちの間に働いておられます。ちょうど神の御子がみすぼらしい馬小屋にお生まれになった時のように、素直な心で主を迎え入れる人々におとずれて、ご自分を現わしてくださいます。

 今年のクリスマスにも、あなたの心に主が訪れて、主との良い交わりの時がもてますようにお祈りしています。あなたの心に主からの平安が豊かにありますよう。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛