親愛なる祈りの家族のみなさん。
季節が変わり木々や草花が生き生きとして来ました。自然が命にあふれてきました。あなたは今生きているという実感を持っていらっしゃいますか。
もちろん、生きているからこそ見たり聞いたり動いたりしているのです。この手紙を読んで下さっているのも、あなたが生きているという証拠です。しかし、「生きている」と言うことはそれだけではないように思います。
イエスは「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」(ヨハネ14章19節)と言われました。現在すでに生きている弟子たちにそう言われたのです。ですから、イエスが「生きる」と言われたのは今の命とは別の命を生きることだったに違いありません。
しかし、命が二つあるわけではありません。二種類の違った命を同時に持っているのです。そして、そのどちらも大切です。
動物のように自分の生命を維持して生き続ける事も大切です。動物的な命があるからこそ、その上に人間らしいよい生き方を乗せることが出来るのです。肉体的な命がなかったらどんなよいことを考えても、また、計画しても、それを実行することはできません。ですから、そのような基本的な命は大切にすべきです。
私たちの体は、たった一つの細胞から始まったのですが、成長すると何億もの細胞になり、それぞれ決まった場所で役割を果たすようになります。一つ一つの細胞には百万ページに匹敵する命令文の情報があり、それぞれの果たすべき役割を決めています。私たちの体はそのように造られ命を与えられています。それを土台にさらに優れた人間らしい生き方ができるのです。
私の子供たちがまだ学生だった頃、若者たちによくありがちな不規則な生活を戒めるために、私はこう言ったものでした。「あなたがたがどんなに勉強が良くできて賢くなっても、自分の体をだめにしたら、せっかくの知識も役に立てることはできないのだよ。」
同様に、どんなに健康な体を持っていても精神的な面や霊的な面で生き生きとしてなければ、生きる意味がありません。私たちが今生きているのは、永遠に生きる備えをするためなのです。
私たちの命は、他の動物や植物とは違って、ただ肉体的な命を生きるためだけに与えられているのではありません。今生きている命を用いて、もっと大切ないのちを得て、そのいのちを確実に生きることができるようになるためなのです。
神は私たちに永遠のいのちを約束してくださいました。永遠のいのちを生きるために私たちに地上の命を与えて下さっているのです。私たちはイエスと共に永遠のいのちを生きるのです。今はその備えをする時です。私たちが今どのように生きるべきかはっきりとしています。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)
私たちが神に期待されている生き方、それは私たちの肉体の命が終わる時、そのまま滅びてしまうのではなく「御子イエス・キリストを信じる者」となって永遠に生きることです。
「御子イエス・キリストを信じる者」となることは決して難しいことではありません。聖人君子になることでも、完全な者になることでもありません。ありのままでいいのです。ただ、イエス・キリストを信じて彼に頼ればいいのです。
正しく生きようとすることも真剣に生きることも後から自然に伴ってきます。しかし、喜びを持って楽しく生きることが第一です。イエス・キリストを信じる者には喜びがあるものです。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ第一5章)
昔「生きる」という映画が作られて大変有名になりました。ガンを宣告された役所の職員が、児童公園を建設するという難しい仕事に真剣に取り組んで、残された時間を一生懸命に生き抜いた感動的な作品でした。
ガンを宣告されて、恐怖と失意の中で何も手につかず、自分の不幸を嘆いて毎日を悶々と生きている人もいるかも知れません。私たちの地上の命はガンであってもなくてもいつかは終わる時が来ます。短くても長くても、生き生きとしていたほうが有意義に生きられます。
「イエス・キリストを信じる者」はどんな時にもキリストに任せきって安心して生きることができるのです。イエス・キリストがあなたと共にいてあなたを助けてくださるからです。
誰の人生にも問題や困難はあります。楽な道ばかりとは限りません。それでも、生きることはすばらしいことです。
私の友人に生まれつき心臓に穴のあいた子供がいました。その子は大きくなっても自分で立つことができません。「あと数年の命」と医者に言われていました。しかし、その子が教会に来てほかの子供たちと一緒に遊んでいるのを見て誰もが感動しました。自分に出来ることをせいいっぱいやって、歩けない足を引きずってほかの子供たちと同じように追っかけ合い、はしゃぎまわり、笑い合って生き生きとしていました。自分の不運を嘆いている様子など全く見られません。「これが生きることだ」と思いました。
イエス・キリストを信じる者として生きることは、喜びに溢れ平安に満ちて、しかも、永遠のいのちにつながる一番すばらしい生き方です。
自然が命に溢れています。あなたも生き生きと命に溢れていて下さるようお祈りしています。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛