祈りの家族への手紙:2001-05


 親愛なる祈りの家族のみなさん。
 神はなんと恵み深いかたでしょう!
 本当にすばらしいものをたくさん私たちにくださっているのに、私たちはあまりにもしばしばそれを見落としています。

 今の季節がその良い例です。どの季節もそれぞれの美しさがあって良いものですが、どちらかといえば、今が一年のうちで一番いい季節のように思います。雨につけ、晴れるにつけ、おもむきがあって美しく、気分も晴れ晴れとします。

 私たちはこれほど多く恵みを受けているのですから十分に満喫して感謝しなければと思います。あなたもそう思いませんか?

 神の恵みを感謝する習慣は、私たちの人生さえ変えることが出来ます。それはどんな困難がやって来た時にも失望することなくそこから大きな恵みを見出すことの出来る秘訣だからです。

 神から来るものとそうでないものとを区別することはそれほど難しいことではありません。

 良いものは全て神から来るものです。

 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。
 (ヤコブ1章17節)

 天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
 (マタイ7章11節)

 私たちのまわりにある、神から来る良いものをいつも注意深く数えて感謝していると、神の恵みを正しく見分けることができるようになります。それによって、あなたは神から来る良いものを一つももらさずしっかりと受け止めることができるようになり、いつも喜びと感謝に溢れていることでしょう。あなたのまわりがそのような良いものでいっぱいになっていたら本当にすばらしいではありませんか。

 私たちの人生を良いものでいっぱいにすることも、悪いものでいっぱいにすることも私たちの心がけしだいです。

 アメリカの連邦警察(FBI)では偽札を見分ける専門家を訓練しています。その訓練は、毎日来る日も来る日も本物をすみからすみまで調べて知り尽くす訓練です。目をつぶっていても手で触っただけで分かるようになるまで本物だけを徹底的に研究します。偽札の研究に手を染めて、本物を知る事を怠っては何にもならないからです。

 本物をしっかりと知っていれば偽物に出会った時、その違いがすぐに分かるのです。

 私たちは神の恵みをまだまだ十分に知ってはいません。もっともっと深く知ることが出来ますし、知っていなければいけないのです。「敵を知るため」と言って悪霊のことを学んだりする必要はありません。悪霊を研究しても好奇心を満足させるだけで、決して恵みを受けることはありません。私たちは一生かけても神の恵みを十分に汲み尽くすことは出来ないのに、貴重な時間を悪魔の研究に用いるのはばかげています。本当の神を知っていれば、偽者は明らかに分かります。

 神の恵みを知れば知るほど、神の恵みとそうではないものとの区別がはっきりとして、神の恵みだけに心を向け、そうでないことにはあまり心をかけなくても良くなります。ともすると、忘れても良いような心配事や過去の失敗で心をいっぱいにしてしまいがちです。あなたを苦しめるそれらの思い煩いや心配事は神から来る物ではありません。神から来るものは赦しと平和と喜びに満ちたものです。

 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5章22、23節)

 私たちが、この不完全な世界に生きている間、心配してもしなくても、思いがけない出来事はやって来るものです。しかし、その時こそ神の恵みがあなたを守ってくれます。何か事があった時にはイエス・キリストがあなたのために力となってくださるのです。

 その時のためにこそ、私たちは心にイエス・キリストを持っているのです。

 イエス・キリストを信じて心に持っていれば、主はどんな時にもあなたとともにいてくださり、何も心配する必要はありません。思い煩うことや心配の種は神から来るものではありません。あなたを苦しめ、あなたを失望させるものだからです。

 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント第二9章8節)

 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6章33節)

 私はいつも皆さんに申し上げていますが、もう一度、心をこめて申し上げます。

 神は本当に良い方です。神が私たちに教えておられることはどんなことでも、私たちに重荷を負わせたり、私たちを裁いたりすることが目的ではありません。私たちに、より一層多くの恵みを注ぐために勧め、戒め、諭しておられるのです。ですから、信仰生活があなたの重荷になったり、義務を感じたりしてはなりません。むしろ、あなたに喜びと平安を与えるためのものです。本物の喜びと平安を得るためには、時には忍耐が必要になることがあります。けれども、それは神の愛から出たものですから決して負担にはなりません。

 あなたは愛されているからです。

 レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛