親愛なる祈りの家族のみなさん。
あなたはご自分の実質年令は何才ぐらいだと思いますか?何才になっても、いつまでも若々しくありたいとは思いませんか?
もし、若さを保ち続けていたいなら、いつも何かに挑戦していることが最も効果的です。何か新しいことに挑戦してそれを楽しく実践していると、身も心も生き生きとしてきます。これが毎日を若々しく生きられる秘訣だと多くの医者たちも保証しています。
クリスチャンになると心に平安がやってきます。魂が平安と確信を持っているので、毎日を有意義に過ごすことができます。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40章31節)
クリスチャンは日々新しいことに挑戦して一歩一歩より高い目標を目指して進みます。失敗することを恐れなくてもいいのです。失敗を恐れて何もしないよりも、失敗の経験を生かして次にもっと有効に前進するようになればいいのです。神の基準は限りなく高いものであり、神は私たちがより高いものを目指すことを願っておられるからです。急がず、あせらず、一歩づつ進めばいいのです。私たちを完成させてくださることは神の御心だからです。
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。(ヨハネ17章24節)
最後の晩餐の席で、イエスが弟子たちを前にして祈られた祈りは今までに何度も読みました。しかし、これをもう一度読んでみて驚きました。
イエスはこのように祈られたのです。
「父よ。わたしに従って来たこの者たちをわたしと共に御国に住まわせてください。そして、わたしが初めから持っていた神としての栄光を彼らに見させてください。」
イエスは本気で私たちを神の国に迎え、そこで神の栄光を私たちに見せようとしておられるのです。ですから、私たちも本気で神の国を目指すべきです。
年配の人はもちろん、若い人でも、誰もが、体だけでなく心もいつも若々しくありたいと思うに違いありません。それなら、クリスチャンとしての生き方に徹することが一番良いことです。迷わず、悩まず、クリスチャンになり切り、本気で神の国を目指すのです。そうすれば、神が私たちを造りかえて、神の国にふさわしい者としてくださり、受け入れてくださるのです。本気で神の国を目指すのですから、疑いや恐れを持つことはありません。
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。(ヤコブ1章6、7節)
多くの修行や鍛錬は自分の潜在能力をどこまで引き出すことができるかにかかっています。人には想像を超えて大きな能力が備わっており、私たちは一生かけてもそのうちのほんの一部分しか用いていません。ですから、鍛錬と努力次第では多くのことが可能です。それを用いることができないのはその人に能力がないのではなく、それを引き出すことができないだけです。しかし、それを引き出すことは容易なことではなく、誰にでも出来ることではありません。
クリスチャンの場合は、私たちにどれだけの潜在能力があるか、またそれを私たちの修行や努力でどれだけ引き出すことができるかではなく、神の力を受け取ってどれだけ自分のものとして生かしているかなのです。
信仰は魔術ではありません。神が私たちのために用意しておられる無限の可能性を私たちのものとして受け取る秘訣なのです。しかも、私たちがそれを受け取ることは神の御心です。
神は私たちの必要を満たし、弱いところを強め、祈りに答えて、状況を変えてくださいます。しかし、私たちがそれを受け取らなかったらそれは何の意味もありません。
無から宇宙を造られた神の力を認めて、それを神が創造されたものとして受け取らなかったら、宇宙はただそこにあるというだけの意味しかありません。人は偶然にわずかの時間そこに居合わせるだけなのです。自分がこの世に存在する目的も、自分がどこから来て、どこに向かっているのかも分かりません。
けれども、神の創造の業を認めてそれを受け入れる者にとっては、それが全く別の物になります。そこにある一つ一つのものに意味が感じられ、感動がわいてきます。それらを見るたびに、造られた方への感謝と愛があふれてきます。生きていることの意味も目的もはっきりとして、自分がどこに向かっているのかも分かるのです。
イエスは本気であなたをご自分の国に迎え入れようとしておられます。そのためにすべてを投げ出してくださいました。ご自分の栄光も、神としての地位さえも投げ出して、地にくだり、私たちと同じ姿で人として私たちの間に住み、ついにはその命さえも私たちの罪の代価として投げ出してくださいました。それほど本気の愛があるでしょうか。
私たちも本気で神の国を目指そうではありませんか。
そうすれば、地上においても生き生きとして輝いており、周りの人からはいつまでも若々しい挑戦者と言われることでしょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛