祈りの家族への手紙:2001-08


 親愛なる祈りの家族の皆さん!
 あなたは聖書の中でどの書が一番好きですか。私が聖書の中で一番好きな書はヨハネの福音書です。

 ヨハネの福音書を読んでいると聖書全体の目的が始めから終わりまではっきりとしてきます。イエスの生涯が感動的に書かれていて、それによって神の愛が大変身近に感じられるのです。この書を読んでいるとイエス・キリストに出会うことができて本当によかったと思います。

 ヨハネの福音書は全部で21章ありますが、1時間ほどで読むことができます。何度読んでも新しい感動が戻ってきます。ぜひ繰り返して読んでください。

 聖書は神からの手紙のようなものです。読む人それぞれに個人的に語りかけてきます。

 私が手紙を書くときにはいつも聖書が教えていることをかいつまんで話しますが、個人的なことを交えて書いています。それは、この手紙が単に聖書からの説教ではなく、あなたへの個人的な私信であることを知っていただきたいからです。

 8月7日、私たちに初めての孫が与えられました。神から与えられた命が私たちから子供へ、子供から孫へとしっかりと受け継がれていくのを見ることはとても厳粛な喜びです。けれども、肉の命だけではなく霊的ないのちをもしっかりと受け継いでくれることを見届ける責任を強く感じさせられます。そのためには自分が良い手本でなければなりません。良い手本になることは必ずしも完全であるという意味ではありません。第一、それには自信がありません。ただ、弱いなら弱いなりに神にすがって生きている姿を見てもらえばいいと思っています。

 ヨハネはイエスによる永遠のいのちについて特別に力をこめて語っています。神が私たちに「いのちを得なさい」と呼びかけている声を伝えようとしているからです。神はあなたが永遠のいのちを受け継ぐことを願っておられます。一人も滅びないことが神の願いなのです。

 神は強い意志と権威あることばによって無からすべてのものを創造されました。そして、それと同じように人類に対する神の強い愛が具体的な形となって私たちに表されたのが、人となってこの世に来られた神の御子イエス・キリストです。

 私たちの理解を遥かに超えた神の領域を、ヨハネの福音書は難しいことばを使わずに、しかも、極めて適切に私たちに語ってくれています。

 私の心に一番強く迫ってくるのは、弟子たちと最後の時をすごされた晩餐の席での会話です。いわゆる最後の晩餐ですが、それは13章からはじまって17章までの5章の長さにまで及んでいます。

 イエスが語られたことばの真意を理解しかねている弟子たちの当惑したようすと、イエスが最後まで彼らを愛し通されたこととがひしひしと感じられます。

 ここを読むとき、自分を弟子の一人と思って読んでみて下さい。ユダ以外の誰でもかまいません。自分の気に入っている弟子になってそこにいると思ってください。私はしばしば自分をペテロの立場にしてそこを読みます。先走りやすく失敗も多いのですが、全力を注いで主を愛し、主に従っています。私もそうでありたいと思います。

 続いて、捕らえられて引き回され、屈辱を受け痛めつけられる姿が書かれています。

 主はただ黙ってそれをお受けになり、ついに十字架に進まれました。そこでは肉体的な屈辱や苦しみ以上に、神から完全に捨てられるという最高に恐ろしい経験を私たちに代わって受けてくださいました。

 それがどんなに恐ろしいものかは、私たちの想像を超えています。私たちがキリストなしで死を迎えるとしたら、すべての恵みと暖かさから切り離されて、永遠の孤独の中に落ちていくことでしょう。しかし、全く罪のない神の子イエス・キリストがその恐ろしい経験をなさって、私たちをそこから開放してくださったのです。ですから、私たちはもう何も恐れる必要はありません。

 最後には復活と別れの時とが書かれています。弟子たちに宣教と牧会の使命が与えられます。

 復活は単に死が打ち破られたというだけではなく、私たちもキリストと同じように復活と栄光の姿となることが約束されているということを意味しています。

 主からその約束を与えられているゆえに、弟子たちも私たちも、よよにわたってこの福音を伝える使命を果たすことが出来るのです。

 すでに聖書は持っておられると思いますが、どこにでも持って行けるヨハネの福音書だけを抜粋した分冊を同封しました。今から一ヶ月間は私と一緒に何度も何度も読み返してください。きっと大きな恵みと励ましをお受けになることでしょう。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛