親愛なる祈りの家族の皆さん!
新学期が始まって、子供たちが夏休みの間に作った工作などのいろいろな作品を抱えて学校に向かう様子が目に浮かびます。子供の頃は毎年いろいろなものを作ったものでした。
あなたもきっとそうした思い出を持っておられることでしょう。ものを作り上げることには何か不思議な魅力があります。自分の持っている力がすべてその上に注がれ、自分の願いや思いがその中に反映するような気がするからです。
すべてのものを造られた創造者の力は被造物の中にはっきりと現わされています。
宇宙が創造されなかったなら、神の無限の力はどこにも現わされず、誰もそれを知ることがなかったことでしょう。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。(ローマ1章25節)
ですから、私たちが目の前に広がる美しい自然に心を打たれるとき、果てしない宇宙の壮大さに感動するとき、人の体や草花がごく細かいところまで見事に作られている精密さに驚くとき、私たちは創造者の力と思いやりとを垣間見ているのです。
すべてのものをお造りになった方は、地球上の山や海や川や草原の中にもご自分の姿をうつしておられるに違いありません。動物や植物の中に発見する完璧なまでに細かい仕組みの一つ一つの中に、ご自分の知恵を注がれたに違いありません。私たちの想像をはるかに超える宇宙の大きさの中に、ご自分の大きさについて何かヒントをお見せになっているに違いありません。私たちは被造物の中に創造者の姿を見ることが出来るのです。
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。(詩篇19篇1節)
神が目に見えないご自分の姿を人類に現わされる方法をいくつかあげることが出来ます。
神はイエス・キリストの生涯を通して人類にたいするご自身の愛の姿を現わされました。イエス・キリストは愛の神を示すために人となって地上にこられたのです。
わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネ14章9節)
先月、私たちは神の愛の性質と姿とをイエス・キリストの生涯の中からご一緒に学びました。特にヨハネの福音書の中に見られる神から人類への愛の呼びかけは、罪のゆえに神から遠く離れてしまっているとはいえ、なお感動的に私たちに伝わってきます。
神はご自分が創造なさった被造物によってもご自身を現わしておられます。また、聖書、特に旧約聖書の中に見られるイスラエル民族の歴史の中にも神の姿を見ることが出来ます。
今月は、神が被造物の中にどのようにご自分の姿を私たちに見せておられるかをご一緒に学んでまいりましょう。
私たちが住む地球は太陽の周りをまわる惑星の家族(太陽系)の一員のようなものです。家族のようだとは言っても、一番遠くにある惑星は、どんなに速いロケットでも何十年もかかります。そこでは太陽の光さえも小さな星の1つにしか見えないのです。そんな大きな太陽の家族も、銀河の中では小さな星粒の一つに過ぎません。太陽のような星が100万個も集まって1つの星の集団である銀河を形成しています。しかし、それがすべてではありません。この銀河と呼ばれる星の集団が宇宙には数え切れないほどたくさん、しかも互いに遠く離れて散らばっているのです。その一番近いものでも、そこからの光が届くのに何万年もかかります。一番遠いものは光よりも速い速度で遠のいているために、どれだけの距離なのかさえもわかりません。
こんなに気が遠くなるほど大きな宇宙よりも、神はさらに大きな方です。
神がお造りになった小さなものを注意深く見るときにも、そこに知恵と思いやりとが注がれている証拠を見ることが出来ます。
地球は太陽との距離が近過ぎて灼熱の星になることも、遠すぎて極寒の星になることもなく、緑と季節の豊かな星になりました。豊かな水が命をはぐくみ、地球を包む大気が命を守ってくれています。その上、小さな花の1つさえ、どんなに優秀な機械や作品よりも精密で不思議な力を持っており、さらに、そこからできる小さな種の一粒が、やがて同じものを作り出すことが出来るように仕組まれているのです。
野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(ルカ12章27節)
その驚きは誰かが作った優秀な機械を見たときの驚きではなく、知恵と愛の配慮を知ったときの畏敬の念をともなった驚きです。
これからは良い季節になります。良い天気の日も多いことでしょう。自然の中に出て行ったとき、あなたのためにそこに繰り広げられている神の愛と思いやりの数々を手にとって味わってください。心の底から感謝があふれてくることでしょう。
あなたは確かに愛されているのです。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛