祝福のメッセージ:2001ー10

No. 200110

神の形に、しかし、少しだけ低く

 

人は神にかたどって神の形に創造されました

 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1章27節)

 このように人類は神にかたどって神の形に創造されました。私たちは神に似たものですが神と同じではありません。

 神は全知全能でどんなことでもお出来になり、どんなことでも知っておられます。しかし、人はどんなに賢い人でも、全知ではなく、どんなに優れた人でも全能ではありません。

 神は真実であって誤りを犯すことがありませんが、人はしばしば偽りや誤りを犯してしまいます。

 神は聖く完全であり永遠の存在ですが、人は不完全であり、永遠に生きることは誰にも出来ません。

 それでも、「人は神のかたちに創造された」と聖書に書いてあります。

 いったいどこが神のかたちなのでしょう。


人は神と同じように霊的で情緒的な面を持っています

 神の性質は全知全能で聖く、正しく、真実で、誤りがなく、永遠であるというだけではありません。これらは神の絶対的な能力の一面を表わしているだけです。これだけでは神は強く、冷たく、近寄りがたい恐ろしい方になってしまいます。多くの人が創造主である唯一の神をそのように思い違いしています。

 神は愛であり、恵み深く哀れみに富み、正義と公平を行ない、忍耐とゆるす心を持っておられて、偽りのない真実な方です。私たちはそのような神の性質をわずかづつ持ちあわせているのです。あるいは持ちたいと節に願っています。神のようにあふれるほど豊かに、完璧な形で持っているわけではありません。


人は神よりいくらか劣るものとして造られました

 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。(詩篇8篇4、5節)

 確かに、人は神の形に似たものとして造られましたが同じではありません。神よりも劣るものとして造られたのです。これには大変深い意味があります。
 絶対的な能力は神だけのものです。人が神に似たものとされているのは、神のもう一面の性質である、愛、哀れみ、正義、公平、忍耐などの性質です。しかも、そのような霊的、情緒的な面も大変劣っています。哀れみの心をしばしば怠り、正義や公平な心も曇りがちで、一番大切な愛さえも偏ったものとなっています。神のようにあふれるばかりの豊かさとはほど遠いものです。けれども、確かに神と同じ性質を持っているのです。

 私たちを神より劣るものとし、その上で、栄光と誉れの冠をかぶらせてくださるのです。ですから、ますます神に似たものとなれるよう、この性質を力いっぱい発揮すべきです。神がそう願われて、私たちをそうお造りになったのですから、自分の造り主である神と永遠のいのちとを思う霊的な分野と、他の人のことを思いやる心を自分なりに力いっぱい表わしたいと思います。

 哀れみ深い神は私たちをあえて神よりも低いものとして創造して、私たちがせいいっぱい真実を求め、愛と哀れみの心を表わし、正義と公平と忍耐を実践することを期待しておられます。たとえ神のように完全な形ではなくても、私たちの努力を見て栄光を授け、冠を与えて、ともに喜んでくださるのです。

 神よりも低く造られたものだからこそ、ひたすら神の願っておられる高さを目指すことが出来るのです。


神の助けによって

 アメリカの大統領は就任する時、大統領として職務を忠実に果たすことを聖書に手を置いて宣誓します。宣誓の最後に「・・・ですから、神よご助力ください。」とつけ加えます。

 何もかも自分の力でやれるのではないことを公に告白する、とても良い習慣だと思います。大統領に限らず、私たちは何事をするにも神の助けが必要です。

 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 
 (ピリピ4章13節)

 私たちは能力と知性と霊性の全ての面において神に頼っているのです。