祈りの家族への手紙:2001-12

 
 親愛なる祈りの家族の皆さん!

 今年もクリスマスが来ました。神が人となって世に来られた特別な出来事を思い起こさせてくれる日です。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)

 人類の歴史を振り返ってみると、大きな出来事がたくさん起こりました。今でもますます速いテンポで起こり続けています。飛行機が空を飛び、茶の間にいて世界中の出来事をすぐさま見たり聞いたり出来、コンピューターで一瞬にして世界中とつながります。

 それでも、世界を造られた方が人となってこの世に来られた時ほどの大きな出来事には比べることはできません。このことには人類の永遠的な運命がかかっているからです。

 私は時々考えます。もしイエス・キリストの再臨がもっと先にのばされたら、これから10年20年の間にどんなに科学が進歩し大きな変化が地球上にもたらされるでしょう。人口は今の何倍になっているでしょうか。海や川や空気は今のままきれいに保たれているでしょうか。水や食料は安全で十分にあるでしょうか。全ての人に危害が及ぶような大きな戦争が起こらないでしょうか。そして、私自身の人生はどうなっているでしょうか。

 人は誰でも長い歴史の中のほんの短い一部分を生きるだけで、やがては地上を去って行きます。ですから、歴史のどの一部分を生きようとも、それがその人の人生です。他の人の人生とどちらが良いかを比べても意味がありません。それぞれ大切であり、それぞれに意味があります。どちらにしても終わりがあります。私たちに大きな違いをもたらす大切なことはもっと別のことです。

 もし、あなたが屋根のある家に住み、寝るところがあり、着る物も食べ物も十分あるとしたら、あなたは世界中で4分の1の中に入る恵まれた人です。後の4分の3の人々は、そういうものがそろってはいない環境の中で不自由な生活をしているのです。

 もし、あなたの銀行口座に少しでも残高があり、財布に少しでもお金が入っていて、今すぐに使わなくてもいい小銭が引き出しやどこかに置いてあるとしたら、世界中では8パーセントの中に入る豊かな人です。他の大多数、92パーセントはぎりぎり以下の生活をしているのです。

 最近になってアフガニスタンのニュースが頻繁に報道されるようになりました。それを通して多くの人々が、今の日本ではめったに見られないような厳しい生活をしている人々のいることを知るようになりました。そこでは永年に及ぶ戦乱と飢きんの中で、大多数の人々が絶望的とさえ言える厳しさの中で、危険で不自由な生活をしています。しかし、日本では不況の大嵐とは言っても、ほとんどの人が世界中では上位の数パーセントに入る暮らしを保証されています。

 どちらの環境の中で一生を生きるにしても、あの厳しさも、この豊かさも永遠に続くものではありません。確かに私たちの人生は彼らの人生よりも恵まれていると言えますが、それで私たちの人生が彼らの人生より価値があると言うことは出来ません。

 私たちの魂は永遠に生き、私たちと神との関係は永遠に続くのです。その永遠に比べるなら、今の生活の厳しさや豊かさはそれほど重要な事ではありません。もちろん、豊かであり、健やかであり、平和であることの方がいいのは言うまでもありません。イエスも私たちが健やかであることを願って、大勢の病人を癒してくださいました。必要なものを与えるために奇跡を行なってくださったこともあります。しかし、豊かでなければ、健康でなければ人生に意味がないとか、つまらない人生であったとは決して言えません。

 イエス・キリストがこの世に来られたのは、永遠のいのちを与えるためです。地上に神の国を建設するためではありません。私たちを永遠の神の国に迎え入れるためです。

 私たちが神とともに永遠に生きる事ができるよう、神と人との関係を回復するために来られたのです。神との関係が完全に回復すれば、人生は地上で全てのものが備わった生活が出来る以上にすばらしいものになるのです。そのためには、神と私たちとの間にある罪を取り除かなければなりません。罪があるから私たちは神に近づくことができないし、神に従うことも出来ないのです。罪が私たちと神とを隔てているのです。そのままでは神とともに永遠に生きることは出来ません。けれども、私たちは自分で自分の罪を取り除くことは出来ません。

 ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」

 イエス・キリストは神の地位から下り、人となってこの世に生き、十字架の上でいのちを投げ出して私たちの罪を全てご自分に負ってくださいました。それによって、イエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れている人は誰でも神の前には罪の無いものと見なされるのです。なぜなら、神が私たちをご覧になるとき、罪にまみれている弱い私たちを見るのではなく、私たちの罪の代価をご自分の尊い血で全て支払ってくださったイエス・キリストが私たちの内に住んでおられるのを見てくださるからです。

 人となってこの世に来られたイエス・キリストを心に迎え、日々ますます、キリストと一体になって、神にも人々にも、キリストの聖さを私たちの中に見ていただきましょう。今のあなたの痛みや弱さや心配は全てイエス・キリストに負っていただきましょう。

 そうすれば、永遠のいのちはあなたの中でもう始まっていることを実感なさることでしょう。どんなことにも感謝し、どんな状況の中でも喜びにあふれて生きることが出来ます。

 メリークリスマス。あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛