祈りの家族への手紙:2002-04


 親愛なる祈りの家族の皆さん!
 私たちが今まで確かだと思っていた多くのものが確かではなくなっています。信頼していた食品の表示が、実は偽って表示されたものであったり、安全だと思っていた薬から重大な病気に感染したり、確実な銀行に託していたつもりの老後の蓄えがいつの間にか危なくなったりします。

 テレビ等のニュースで「もう何も信じられない」とか「一体何を信じたらいいの」という市民の叫び声を良く聞きます。もともと、地上のものに絶対的な信頼や期待を置くことは出来ません。

 イエスは言われました。

 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。(マタイ6章19、20節)

 イエスは「地上に宝を持つことが悪い」と言っているのでも「持っていなければそれで良い」と言っておられるのでもありません。私たちが地上的なものに心を奪われて、永遠的なものをおろそかにするという失敗を犯さないよう、警告しておられるのです。ですから、永遠的に頼れるものをしっかりと持つことが何よりも大切であることを強調しておられるのです。不安定な時代だからこそ、私たちは一層、永遠的な信仰を確かなものにしておく必要があります。

 私たちはなぜ神を信じるのでしょう。また、私たちの信仰の本質はどこにあるのでしょうか。何をどう信じる必要があるのでしょう。それをしっかりと確実なものにしましょう。

 私たちは罪を犯して神から遠く離れてしまったため、神と交わることも、神を見ることも出来ません。ですから「神を信じている」と言っていてもそれだけでは確実ではありません。

 私たちが神を信じるためには、まず、神の子キリストが私たちの罪のために身代りに罰を引き受けて十字架の上で死んでくださったことを信仰によって受け取ることが必要です。

 私たちは神の前では永遠に滅びて当然の罪人(つみびと)であり、神の愛と哀れみ無くしては一瞬たりとも生きてはいられません。けれども、神の子キリストは私たちの罪をご自分の身に負って十字架にかかってくださいました。イエス・キリストは人として神の前に完全な人生を歩み、私たちの罪をご自分のきよさによって覆ってくださったのです。神はもはや、私たちの罪を見ないで、私たちの心の中にあるキリストのきよさを見てくださるのです。

 キリストが人類の罪の身代りに死んでくださったことが、私たちの罪を赦すのに十分であると神が認めてくださった証拠として、神はキリストを死者のなかから復活させたのです。こうして、私たちは確かに罪が赦され、神に近づくことが出来るようになりました。キリストのゆえに、私たちは神を身近な方として信じ受け入れることが出来ます。私たちはイエス・キリストの十字架を通して神を信じているのです。これが私たちの信仰の基盤です。

 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと—(コリント第一15章3、4節)

 これらは全て、私たちの救いのために神が一方的にしてくださいました。

 私たちにはどんな苦労も修行も要求されていません。では、どこに私たちが参加出来る余地があるのでしょう。大きな場所が私たちのために残されています。それは、私たちの信仰によって完成するのです。私たちはこの信仰を自分の知恵によってでもなく、完全に納得出来たからでもなく、むしろ、まだはっきりとは分からないときに信仰によって受け入れたのです。神はその信仰が、キリストのなさったあがないのわざと並んで、私たちの救いの完成には不可欠なものと見てくださるのです。あなたの信仰はそれほど神に評価され大きな報いが約束されているのです。

 この信仰は単純ですが、決して軽いものではありません。そこに永遠のいのちがかかっています。神は信仰によってイエス・キリストを受け入れた者に永遠のいのちを約束しておられるからです。心の中にしっかりと信仰の基盤を確立して、この約束を自分のものになさってください。

 人に信頼を置く場合は、裏切られるかも知れません。実際に多くの人々が信頼を悪用されたり利用されたり、信用したばかりに大切なものを奪われたりしています。人を信じる場合はその危険を承知で信じるのです。

 一方、人から信頼されることはとても重いことです。名誉あることです。責任を強く感じるべきです。ですから、人との約束を裏切らないように、信頼してくれる人の心を大切にすべきです。いったん人の信用を失ってしまうと、それを取り戻すことには大変な努力が必要になります。

 けれども、神の約束に信頼をおく場合は全く違います。決して裏切られることがありません。神はいつわることが出来ないからです。その上、例え私たちが神の信頼を裏切ってしまうようなことがあったとしても、神は決して私たちを見捨てることはありません。ですから、神の約束を信じる場合には思い切った信頼を寄せることが出来るのです。

 私たちは神の約束の上に自分の人生の全てを任せることが出来ます。あなたの信仰の基盤を、イエス・キリストによる救いと、信じる者たちへの約束にしっかりと確立しておいてください。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12章2節)

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛