祝福のメッセージ:2002ー07

No. 200207

とりなしの祈り

 

 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
 (ローマ10章1節)

 とりなしの祈りはもともとは旧約時代の預言者や祭司たちの役目でした。王や個人が罪を犯した時、神と人との間をとりなして罪を悔い改めさせ、神の赦しを求めたのです。モーセはしばしば不信仰なイスラエル民族のために罪の赦しを神にとりなして祈りました。

 新約時代のクリスチャン、特にプロテスタントのクリスチャンはキリストにおいては万民が祭司であると教えられています。ですから、一人ひとりが互いにとりなしの祈りをし、また、クリスチャン以外の人々のためにも、神にとりなして祈り、彼らの救いを求めることができるのです。また、進んでそうすべきです。


初代教会はペテロの解放のために祈り続けた

 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。(使徒12章5節)

 イエスの弟子たちが大胆に福音を伝え始めた頃、クリスチャンに対する迫害も激しくなってきました。ペテロは捕らえられて投獄され厳重な監視のもとにおかれていました。教会では彼のためのとりなしの祈りが熱心に続けられていました。

 そのとき神が働いてくださいました。御使いが現れて彼の手からは鎖がはずれ、第一第二の衛所の鉄の門も自然に開きました。彼は自由になって、祈ってくれていた仲間のところに行って報告しました。これに励まされたクリスチャンたちはますます大胆に福音を伝えるようになりました。


ハドソン・テーラーは中国の救いのために切実に祈った

 神を認めない共産主義の国中国では、迫害されても迫害されてもクリスチャンの数が爆発的に増え続けています。いったいどこからその様な信仰の力が湧いてくるのでしょう。

 革命前の中国には大勢の宣教師が送り込まれました。それらの宣教師たち一人一人のために背後では大勢のクリスチャンたちが祈っていました。中でも宣教師となって中国に生涯をささげたハドソン・テーラーは有名です。中国の人々のための彼の祈りは強烈です。迫害と反対のなかで「24人の熱心な働き人を与えたまえ」と神に祈ったところ、641人の働き人が与えられたということです。

 このような熱心な祈りが積み上げられて、中国に大きな変化をもたらし、その勢いが今も続いているのです。


アフリカのため、インドのために多くの祈りが積まれました

 中国の次に多く祈られた国はアフリカとインドです。どちらの国も多くの点で発展途上にあります。しかし、福音がしっかりと根をおろし、教会の働きが着実に伸びています。これらの国では多くの宣教師たちの血が流され人々のとりなしの祈りが積まれました。


日本の救いのためにも祈りがささげられています

 今までも日本は世界中の国から注目され続けてきました。多くのクリスチャンたちが日本のために祈ってくれています。私は28年前初めてハンバード牧師に会いましたがその時彼が言ったことを今でも忘れません。

 「今こそ日本に大々的に福音を伝える時だ、今より前ではなかったし、今から後でもない、今がその時だ、私を助けてほしい」何の力もなかった私にそう言ってくれた彼は、おそらく長年日本のために祈りつづけていたに違いありません。

 今も以前にもまして多くの祈りが世界中のクリスチャンによって積まれ続けています。やがて、もうすぐ、神の時が来て、日本の魂に大きな変化が起こることでしょう。私はそう信じています。


教会にも個人の中にも熱心なとりなしの祈り手がいる

 私は自分で決心をしてイエス・キリストを救い主として心に受け入れたと思っていましたが、決してそうではありませんでした。あの夜、私を教会に引き寄せ、まだ何もよくわからないままの私に信じることを決意させたのは、背後にあったとりなしの祈りでした。後で知ったのですが、私が救われるために熱心に祈ってくれていた人たちがいたのです。私自身もそういう祈り手の1人になりたいと思います。


イエスのとりなし

 とりなしの祈りは多くの魂を救いに導く力を発揮します。なぜなら、イエスがご自分の命をかけてその道を開いて、父なる神の前で私たちのためにとりなし、とりなしの大切さを教えてくださっているからです。

 イエスは今も父なる神の右に座して、あなたのためにとりなしておられます。私たちもイエスにならって人のためにとりなしの祈りをする者となりましょう。

 キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル7章25節)