親愛なる祈りの家族のみなさん。
大変よい季節になりました。けれども、私はこの数日間、激しい腰痛のためにほとんどベッドの中ですごしました。
一瞬たりとも絶えることのない痛みのために本当に苦しい毎日でした。今まで経験したことのない激しい痛みの中から何度も、「主よ、どうしてですか」と叫びました。その時、1つの思い出が私の脳裏をかすめました。
それは、ずいぶん昔のことで、聖書学校を出て間もない私が田舎の小さな教会の牧師をしていたときでした。その教会に一人の婦人がおられて、脊髄にできた腫瘍のために毎日「痛い痛い」と言って苦しんでおられました。私は何度も訪問して彼女のために祈りましたが、藁にもすがる思いでうったえていたその痛みを、私は自分のことのように実感していたとは言えません。ただ、「イエス様を信じてすがりなさい」としか言えませんでした。今ならもっとましなことを言えるかどうかはわかりませんが、少なくとも、その痛みをもっと実感できるようになったと思います。本当に痛い痛い毎日でしたが、私にとっては大変貴重な学びの時となりました。
日ごろ健康に恵まれていた私は、長続きのする痛みというものを経験したことがありませんでした。終わりの見えない痛みや苦しみがどんなに人を落胆させ、失望に追い込むものであるかは、体験してみないとなかなか理解できないものです。わかってあげようと一生懸命努力しても、自分の体験とは結びつかないからです。
私たちは自分が経験するまでは、ほかの人の痛みや苦しみを本当に実感できるとは言えません。本当に深い同情の心を持つことができるのは、その痛みを経験した人です。イエス・キリストは神であられたにもかかわらず、私たちと同じ肉体を持ってこの世に住まわれ、私たちの経験する弱さや苦しみを経験してくださいました。
この大祭司(キリスト)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。(ヘブル4章15節)
イエスはしばしば、疲れ果て、倒れている群衆を見て深い同情を示され、また、彼らを癒されました。私はそういうイエスの姿が好きです。そのような主を手本にしたいと思っています。
これからは、祈りのリクエストのために祈る時、今度の痛みを経験する前よりももっと実感をもって祈ることができるような気がします。
まだ痛みが続いているため、この手紙はベッドの上で書き始め、短い手紙になりましたが、早くよくなって、この次はもっと明るい手紙をお届けしたいと思っています。
どうかあなたもお体を大切に、これからのよい季節を満喫してお過ごしください。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛