祈りの家族への手紙:2002-11


 親愛なる祈りの家族のみなさん。
 信じられますか? もう12月です。2002年の最後の月になるのです。月日のたつのは本当に速いものです。一日一日を大切にしてまいりましょう。

 先日、私は一人の友人が交通事故で入院しているのでお見舞いに行きました。

 アメリカで高速道路を走行中に突然現れた鹿を避けようとしたために車がスリップして、さかさまに道路わきに転落したのです。乗っていた家族は軽い怪我ですんだのですが、私の友人は重傷を負って、下半身が動かなくなり、もとのようになおるとしても1年はかかるとのことでした。その間、痛みとつらい訓練が続くことでしょう。

 このような苦しいときの月日のたつのは決して速いとは言えません。けれども、彼は同乗の家族も自分の命も守られたことのゆえに感謝にあふれていました。また、もとのようになるという希望に満ちてリハビリに励んでいました。ですから、大きな事故だったにもかかわらず、彼の一年間は希望に満ちた良い1年になるに違いありません。

 時間は私たちの受け取り方、感じ方で長くも短くもなります。その過ごし方によって、良い時にも悪い時にもなるのです。私たちがどのような将来を目指しているかによって、人生の患難さえも、その人にふさわしいものに変わります。私もあなたも、栄光に満ちた永遠の未来を目指しているゆえに、今の時を、神から与えられたすばらしい時として受け取って、誠実に、忍耐強く、しかも、希望をもって生きられるのです。

 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、
 取るに足りないものと私は考えます。
(ローマ8章18節)

 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、
 測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
(コリント第二4章17節)

 私がお見舞いした友人は長年日本の伝道に貢献した宣教師です。彼は30年前にも交通事故に遭い、その事故によって弟をなくし、自分も生死を分ける大怪我をしました。その時、彼は奇跡的に命が助かったことに感謝して自分の生涯を神の愛を伝える伝道のためにささげる決心をしたのです。

 今回の事故も、長年日本での奉仕を終えて、彼が新しい奉仕の場を求めて祈っていた時でした。神が今どのように語っておられるのかは私にはわかりません。けれども、このような恐ろしい事故を通しても神はきっとすばらしいことを彼の人生に始めてくださるに違いありません。彼は神の語りかけに対してとても敏感です。よく聖書を読み、よく祈る人です。ですから、これからの彼の生涯に、神が何をさせようとしておられるのかを感じて受け取ろうとしているに違いありません。それを思うとき、彼のために祈っている私はとても厳粛な気持ちになります。

 私たちの人生はそれぞれ神の前には一人一人ただ一度しかない真剣勝負です。

 その人生を、どんなに恵まれた環境の中にいても、不平と不満でいっぱいにして生きることも、目に見える外側の状態がどうであれ、喜びと感謝でいっぱいに満たして生きることもその人の生き方しだいです。

 あなたの人生はとても貴重です。神はあなたの人生をいつも喜びで満ちたものにしたいと願っておられます。ですから、困難を感じた時には一緒に祈りましょう。喜びを感じた時には一緒に感謝しましょう。

 私たちは一瞬一瞬を大切にして生きるべきです。毎日を厳粛に受け止めて生きるべきです。そうすれば、あなたにとって毎日がとてもすばらしいものになります。私たちの人生は一日一日がそうするだけの値打ちのあるものです。

 私の友人の場合、自分のこれからの奉仕の場がまだ決まっておらず、いわば失業状態のとき、突然家族ともども交通事故に遭い、自分は半身不随で病院に入院している状態で、感謝と喜びにあふれて毎日を過ごすことが出来ると思いますか。自分の気持ちの持ち方だけでそうすることはとても難しい事です。しかし、神が共にいてそれを可能にしてくださっているのです。私の友人はとてもいい人ですが、決して聖人君子のような人物ではありません。けれども神がすばらしい方であり、神に頼っている者を決して失望させることのない方だということを知っているのです。

 私は、あなたにもそのような生き方をしていただきたいと願っています。

 私たちの人生は決して長いとは言えません。その人生を、神が願っていてくださるようなすばらしいものにしようではありませんか。神がそれを願っておられ、助けてくださるのですから、誰にでもできるのです。私もあなたのために祈っています。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛