祝福のメッセージ:2002ー12

No. 200212

恵みの時代の祭たち



 私たちが知っている旧約聖書に描かれている祭司は律法にしたがって民族の代表として神の前に出て神と人との仲立ちをする特別な人々でした。祭司職は誰にもできる務めではありませんでした。

 けれども、イエス・キリストはこの職務に大きな変化をもたらしました。

 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。(エペソ3章12節)

 旧約時代の人々も私たちも罪のゆえに神から遠く離れて直接神との交わりを持つことができなくなっていたことでは同じです。けれども、イエス・キリストが地上に来てくださったことによって変わりました。

 完全に神と等しい方が、神と人との仲立ちとなるために完全に人となって私たちと共に生活し、罪のない生涯を生き、しかも、私たちの罪を負って十字架の上で罪の代価となって死んでくださったからです。それゆえ、罪の中にあった私たちが、イエス・キリストを信じる信仰のゆえに罪のないものとされて、神の前に立つことが出来るようになったのです。


旧約時代の祭司

 旧約時代の祭司は契約の箱や幕屋を管理し奉仕する人々でした。のちには神殿が建てられることによって、イスラエル民族全体を代表して神殿において民の代表として全ての礼拝と供え物を司ることに専従しました。

 大祭司の務めの一つは、毎年一度、人々の罪の赦しのために犠牲として殺した子羊の血を携えて神の前に進み出ることでした。

 この務めを許されていたのはレビ人でアロンの家系に属する人々だけでした。彼らだけが至聖所と呼ばれる神の臨在の場所に入ることが出来たのです。


大祭司イエス・キリスト

 十字架で血を流して私たちの罪の代価を払ってくださったイエス・キリストは、罪を取り除く子羊の血を携えて神の前に進み出る大祭司の職務を果たされました。

 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。(ヘブル7章24-27節)


旧約時代末期の祭司

 新約聖書の時代が始まる頃の祭司は、一般民衆の代表というより、むしろ支配する存在となっていました。特に、祭司長は律法学者たちと組してイエス・キリストに対抗し、イエスの教えに従っていく人々を威圧したり捕らえたりする者となっていたことが、しばしば新約聖書の中に見られます。

 イエスは一つの出来事を通して祭司の本来の役割を思い起こさせています。

 ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。(マルコ1章44節)

 一人のらい病を通してイエスがなさったことは、本来モーセが祭司の務めとして命じた「神と人との間に立ってとりなす働き」を思い起こさせることでした。これによってイエスは、苦しんでいる人々のために祭司たちが本来の務めを果たしていなかったことを明らかにしておられるのです。

 イエスが十字架の上で息を引き取られた時、何が起こったのでしょう。

 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。(マタイ27章50、51節)

 神殿の幕は聖所と至聖所を隔てていた垂れ幕です。この幕の奥が至聖所で年に一度大祭司だけが入ることを許されていた神との会見の場所でした。

 私たちは罪のゆえに神から引き離されていたために、神と自由に交わることができませんでした。けれども、イエスはご自分の命によって、私たちの罪を取り除き、神と私たちとの間にあった隔ての幕を取り除いて、誰でも自由に神の前に進み出て神と交わることが出来るようにしてくださったのです。

 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆に まことの聖所にはいることができるのです。(ヘブル10章19節)


あなたも祭司

 誰でもイエス・キリストを信じて神と和解している人は、まだ信じていない人々のために神にとりなす祭司の努めが与えられています。

 人々のために神にとりなし神の御心を伝えて、神と人との仲介者となることが本来の祭司の努めです。私たちは今の時代の祭司です。神から離れ、神を知らない人々のためにとりなし、神の愛の福音を伝える役割を与えられているのです。

 それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。(ローマ15章16節)

 あなたも祭司です。家庭においても職場においても、まだ救われていない人々のために神にとりなし、神の愛を紹介する祭司としての役割を果たしてください。