No. 200301
天地宇宙の創造者イエス・キリスト
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(ヨハネ1章1、2節)
言葉は互いに意思を通じさせるための大切な手段です。誰でも言葉によって意思や気持ちを相手に伝えます。必ずしも日本語とか英語というように、はっきりとした言語だけとは限りません。身振り手振りでも意思を伝えることが出来ます。
人類への愛を伝えるために神から発せられたことばは「神ご自身が人となってこの世に下ること」でした。イエス・キリストは始めから神とともにあり、宇宙を創造された神でした。私たちが恩恵を受けている全てのものは神が私たちのために創造されたものです。もう一つの注目すべきことはイエス・キリストが天地創造に初めから関与しておられたという事実です。聖書ははっきりと父と子とは創造の初めから一つであると教えています。
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、
ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。(ヨハネ17章5節)
イエス・キリストが創造主であることが大切な理由
人類に永遠の死をもたらした罪は、人が創造主である神への従順を破ったことから始まりました。従順と言っても、単純に絶対服従をすることではありません。神は人に自由意志を与えておられるのですから、神に従うことは深い信頼関係を土台にした上での創造主と被造物との関係を意味しているのです。
人と人との間でも、信頼関係を回復することは大変な努力と犠牲が伴います。神は大きな犠牲を払って、神の恵みから引き離されて行く人類をご自分のもとに回復されたのです。それは創造者ご自身が罪の結果である死とその苦しみを引き受けることによって可能となったのです。ほかの誰がそれをしても意味がありません。創造主が行なったときはじめて意味があり効力を発するのです。
人類の創造主であり救い主であるイエス・キリストからの賜物
私たちが「父、子、聖霊」として理解している神は、3つではなく1つです。 イエス・キリストの降誕は、全能の神が死ぬべき体を持った人間となることです。栄光の神の地位から離されることを意味します。更に大きな分離は、イエス・キリストが十字架の上で、人類の罪の身代わりになって神から見捨てられることです。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27章46節)
永遠の死は、私たちが全ての恵みから引き離されて、永遠の孤独の中に落ちることを意味します。こうして、人類の不従順の罪とその結果として負わなければならない永遠の死を神が全て引き受けてくださったのです。今私たちの前に差し出されているのは第二の創造と言うべき「魂の救いと永遠のいのち」の賜物です。
それは、創造主からの無代価の賜物であって、受け取る者にのみ与えられるのです。神が、イエス・キリストの栄光ある復活によってそれを保証しておられます。