親愛なる祈りの家族のみなさん。
先日、孫と電話で話をしました。話をしたとは言っても孫はまだ1歳半ですから、顔の見えない話し相手が誰なのかを理解しているとは思えません。私は孫が何を言っているのか、何を言いたいのかを分かろうとして耳をすまして聞きましたが、結局その会話では特別に意味のあることばは何も聞こえませんでした。そのうえ、すぐに「バイバイ」と言って電話を離れていってしまいました。それでも、孫に電話ができたということは私にほのぼのとした喜びを与えてくれました。
この孫と意味のある会話をするのはまだ少し早すぎるようです。けれども、いつか必ず、人と人としての心の交流を持ち、大切なことをまじめに話し合えるようになるに違いありません。それを今から楽しみにしています。
私たちもしばしば、神にそのような未熟な祈りをしていないでしょうか。
人類は長い歴史を通して神を知ろうとして、探求し続けてきましたが、神は人の知恵によるだけでは完全に知ることは出来ません。多くの賢い哲学者たちが「神とはこのようなものである」と結論づけて、分かったつもりで解説しても、それはあくまでも人間側の納得の仕方に過ぎないのです。造られた者が造り主以上に賢いはずはないからです。
その上、罪によって神との霊的な交わりが切れてしまっている今では、人は神を求めることはおろか、神の存在を信じることさえ出来なくなってしまいました。イエス・キリストによる罪の赦しなくしてはだれひとり神に近づくことも、神の前に出ることも出来ないのです。
すると、祈りも自分のことばかりを求める自分中心的なものとなり、自分が祈っている相手がどんな方であるのかを知ることも、気にとめることさえもなくなります。
どんな神でもかまわないで祈るのは偶像礼拝です。自分の願い事を並べ立てて言うだけのことを言ったら、相手の返事を聞くことも期待することさえもせず、さっさとそこを去ってしまいます。それでは本当の交流ではありません。もともと、偶像礼拝は意味のある交流を求めていないのかも知れません。人は罪のために神との交流が出来なくなってしまったからです。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
(ローマ3章23、24節)
しかし、誰でもイエス・キリストを信じ、救い主として心に受け入れるなら、その人は、イエスの聖さ、正しさの故に神に受け入れられる者となり、神との交わりを回復することが出来ます。大胆に神に近づいて、イエスの名によって、生ける、真の神に祈ることが出来るのです。そうすれば、その祈りがどのような祈りであっても、神は耳を傾けて聞いてくださいます。
神は私たちがそのように大胆に神に近づいて祈る者となることを心待ちにしておられるのです。そこから私たちと神との新たな交流が始まるからです。
人はもともと神と交わるために造られたのです。天地宇宙の造り主であり、私たちをも創造してくださった神は、人間だけに神と交流できる特権を与えてくださいました。しかし、罪にそまっている人類は神と交わることなど出来ないとあきらめてしまっているのです。
それをイエス・キリストが可能にしてくださったのです。イエス・キリストの名によって祈るなら、神はイエス・キリストの聖さと完全さの故に、私たちの祈りを聞いてくださいます。
ですから、クリスチャンは「イエス・キリストの名によって祈ります。」と言って祈りを結びます。それは良いことで、聖書の教えにもかなっています。
けれども、時には、祈りの最初にこの言葉をもって来て祈ってはいかがでしょう。「天の父なる神よ、イエス・キリストの名によって祈ります。」と言って祈りを始めるのです。あなたの祈りが、イエス・キリストの名によって、イエスを通して神に向けられていることを、祈りの間も心にとめておくことができるためです。イエスの名にしっかりとした信仰の土台を置いた祈りを、神は聞いてくださいます。
「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」
(ヨハネ16章24節)
神は全知全能であり、私たちの心の中まで完全に知っておられます。ですから、初めから熟練した、完全なクリスチャンとして神の前に出ようとしなくてもいいのです。初めは未熟な祈りでも、漠然とした祈りでもいいのです。神はそのような祈りでも聞いてくださいます。しかし、神がおられることを信じ、イエス・キリストの故に神に受け入れられていることを知ったら、さらに、神とのより深い親密な交わりを求めて成長してください。神はあなたの喜びが満ち満ちたものとなることを願っておられます。
最近の電話はダイヤルするだけで日本中はもちろん、世界中のほとんどの国にすぐにつながります。ですから、遠く離れている家族や友人といつでも話が出来ます。けれども、そんな便利な電話がそこにあることを知っていて、どんなに話をしたいと願っても、ダイヤルをしなければつながりません。
神がおられることを信じ、神の恵みを知っていても、神との親密な交わりがつながっていなければ、祈りが聞かれるという確信を持つことも、神の声を聞くこともできません。
イエスの名によって信仰の土台をしっかりと置いたなら、あなたの祈りを神の御心に合わせてください。そうすれば、神との電話はつながります。
そのとき、私たちの祈りは確かに届いていることが分かります。また、私たちも神の声に耳を傾けるようになります。私たちの祈りの声が神に喜んでいただいていることが分かるようになるのです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛
世界一周祈りのマラソン2003年3月
フィリピン
人口7千6百万、クリスチャン93%
政治が安定し、全ての人が公平に扱われ貧困が少なくなるよう。
ブルネイ
人口33万、クリスチャン11%
モスレムが大多数。クリスチャンの信教の自由が完全に守られるよう。
マレーシア
人口2千2百万、クリスチャン9%
モスレム法律で福音宣教が妨げられる地域が多い。それに負ないよう。
インドネシア
人口2億1千3百万、クリスチャン716%
少数派による危険な活動によって一般市民への政治が曲らないよう。
シンガポール
人口3百60万、クリスチャン15%
さまざまな理由から教会成長が止まっている。妨げが除かれるよう。
バングラデッシュ
人口1億3千万、クリスチャン0、7%
貧困がさらに増している。政府が外国の援助を公平に届けるよう。
スリランカ
人口千9百万、クリスチャン7、6%
民族対立による悲劇が絶えない。和解と平和がおとずれるよう。
インド
人口10億、クリスチャン2、4%
クリスチャンでない人の数が世界一多い国。福音が更に浸透するよう。
ネパール
人口2千4百万、クリスチャン1、9%
政治が安定することと宣教の自由が与えられるよう。
モンゴル
人口2百70万、クリスチャン0、7%
福音がこの国に伝えられて間もないので、人々に正しく伝わるよう。