祈りの家族への手紙:2003-08


 親愛なる祈りの家族のみなさん。
 これからは暑い日が多くなります。暑い日が続くと、多くの人々がぐったりして、やる気をなくしたり、いつもより早く疲れたりします。あなたはそうならないようにとお祈りしています。

 疲れた時、気力がうせた時、元気を出したいと思ってもなかなか思うように気持がついて行かないことがあります。するとますます落ち込んで、身も心も力を失ってしまいます。

 そういう時、無理に強いられてではなく、いやいやでもなく、内側からやる気が起こって来るようになるにはどうすればよいのでしょう。実は、あなたには今のうちにしなければならない大切なことがあるのです。そのことを思い起こしてください。

 私にも、もうじき2歳になる孫がいます。どんな家庭でも幼い子どもがいる家庭には活気があふれます。日一日と成長していく姿を見るのは誰にとっても嬉しいものです。はいはいし始めると周りの者たちは大喜びで喝采します。初めて歩いたときなどは周りが大騒ぎをして写真を撮ったり一緒に歩いたりして喜びます。幼い命にはそれほど大きな期待が寄せられているのです。幼子には新しい事や初めての事がいっぱいです。自分で出来ることはわずかしかありません。ですから、周りの人々はほって置けなくなるのです。そこに自分に出来ること、やるべきことをたくさん見出すからです。

 私たちをやる気にさせるのはそうした新鮮な感動と期待を持って見る目なのです。ではどうしたら私たちは毎日をそのように生きることが出来るのでしょう。

 あなたが主を待ち望む心を持って毎日を過ごすなら、一日一日が生き生きとして、新鮮な感動と喜びの日々になります。

 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40章31節)

 たとえば、あなたの家の居間がよごれていて、色々なものが散らかっていると考えて見てください。衣類が脱ぎ捨ててあり、読みかけの本や新聞がそのままになっているかもしれません。普段はその方が気楽でいいと思うかもしれませんが、いつもそのような状態の中にいると知らず知らずのうちに自分を惨めな気持にさせる原因になります。

 もし、大切なお客さんが来ることが分かっていたら、決してそのままにはしておかないでしょう。むしろ、きれいに掃除をするだけではなく、いつもとは違った季節の花を生けて飾ったり、テーブル掛けを新しいものに変えたりするかもしれません。そうしてみると快適で気持も落ち着きます。

 これは客人を迎える外側の準備のことですが、心の中の準備の方はどうでしょう。もっと張りつめた気持で、いつ来るか、いつ来るかと、期待して待つのではないでしょうか。少しでも遅くなれば何度も戸口まで行って確かめたりするかもしれません。その人が特別に大切な客人だったら、どんな話をしようかと考えたり、喜んでもらえるように良い挨拶の練習くらいはしておくかもしれません。

 もし、イエス・キリストがその客人だとしたらどうでしょう。

 イエス・キリストは世を去って天の父のみもとにお帰りになりました。しかし、私たちのために場所を用意したら、また来て、私たちをそこに迎えてくださると約束してくださいました。

 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネ14章3節)

 イエスの弟子たちはそのことを何度も聞いています。主は確かにもう一度この世に来られるのです。これは作り話ではありません。イエスご自身がはっきりと言われたのです。大切なことは、その時、私たちが心地よく主をお迎え出来る準備が出来ているかどうかです。

 その日は人類史上かってなかった特別な日になります。

 「地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」(マタイ24章30節)

 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。(マタイ16章27節)

 イエス・キリストを救い主として信じている者はその日を恐れる必要はありません。信仰を守り通した者にとってその報いは裁きではなく、誉れ高い酬いとなるからです。

 その日は、2000年前の最初のクリスマスのように、貧しい人の子として馬小屋に静かにお生まれになった時とは違います。誰の目にもはっきりと分かる偉大な栄光と権威を持って天の大軍勢とともに来られるからです。私たちは間もなく、イエスと顔と顔を合わせてお会いすることになるのです。

 ですから、私たちはその日のために心を躍らせて備えをしているべきです。そうすれば、主を待ち望む者の毎日は決して無気力になったり疲れ果てたりはしません。もちろん、体は疲れることも弱ることもあります。しかし、心はいつも新しい力に満たされます。すると体にも元気がわいてきます。

 イエスはあなたが、疲れ果てたり気力を失ったりしないで、期待を持って毎日を生き生きと生きられるよう、その日を備えておかれたのです。ですから、私たちはそれにふさわしい毎日を過ごすべきです。その日は今日かもしれません。明日かもしれません。あなたはそのとき主に何と言いますか。挨拶の予行演習をしてその時を待ち望んでいましょう。

 あなたが心を躍らせつつ準備する一つ一つの行ないに対して、主も大きな期待を持って見守っておられます。私も、大いに期待しつつ主にお会いする日を待ち望んでいます。祈り合い、聖書のことばをともに学び、信仰を励まし合ってきた祈りの家族の皆さんとともに主にお会いできるからです。

 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。(テサロニケ第一2章19節)

 どうか生きることへの感動と使命を失わないでください。あなたには主の大きな期待が寄せられています。主はあなたを迎えに来られるのです。今日がその日かもしれません。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛