祝福のメッセージ:2003ー11

No. 200311

神はいやしてくださる

 

体のいやし

 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(ヨハネの第三の手紙2節)

 私たちが健康に恵まれていることは神の願いです。神は病をいやしてくださいます。私たちがいつまでも病気のままでいることは神の御心ではないからです。

 イエスのもとに大勢の病人が集まって来ました。それはイエスが神の御心を行なっておられたからです。神の御心は私たちが健康に恵まれて健やかであることです。大勢の病人をご覧になったイエスは人々が病によって苦しむことが神の御心ではないことを強く感じられたのです。

 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。(マタイ14章14節)

 イエスはいやしの奇跡を行なわれました。しかし、全人類が自動的にいやされたわけではありません。今も世界中に大勢の人が病気で苦しんでいます。全ての人がいやされるためには大きな課題があります。イエスのもとに来た人々がいやされたのは、人が病気で苦しむのは神の願いではないことが表わされるためです。


人間関係のいやし

 多くの人が近所づきあい、親子関係、学校や職場などでの人間関係に悩んでいます。いじめや偏見によって傷ついたりします。人間関係が病んでいるからです。

 人は初めから助け合って生きるように造られました。けれども、助け合い協調し合う良い関係がどこかで狂うと問題や困難が生じてしまうのです。

 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記1章18節)

 人と人との関係はとても大切ですが、良い関係を築きそれを保つことは難しいことです。人は誰も自分独りで生きているのではないにもかかわらず自分中心的になりやすいからです。神は始めから人が互いに助け合い補い合って生きるよう造られました。ですから、私たちが良い人間関係を築くのを願っておられます。

 良い人間関係は神との関係を正しく持つことと深い係わりがあります。人とのギクシャクした関係も神と正しい関係を持つことにより良いものに変わるのです。

 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。(ヨハネの第一の手紙4章7、8節)


家庭のいやし

 家庭は人間関係の土台です。共同体の最小単位で、全ての組織がそこから出発しています。家庭は人が献身的な愛や、人を信頼することを学び実践するところです。ですから、家庭に問題があると社会のあらゆるところに問題が生じます。子どもたちは情緒不安定になり、目標を見失い、心の休まることがなくなります。アメリカのある航空会社は、どんなに高い技術を持っていても家庭に問題のあるパイロットには問題が解決するまで機長としての操縦はさせないそうです。家庭に問題を持ったままでは大勢の命を託すことは出来ないという考えです。

 家庭は利害関係だけで成り立ってはいません。はっきりとした境界線も引かれていません。それだけ親密なのです。けれどもそのことがかえって対立を大きくしたり、こじらせたりします。憩いの場所が争いの場所になることもあります。

 けれども、家庭の中心に主がおられるなら、たとえ問題が起きたり、ぶつかり合ったり、傷ついたりしても必ずいやされます。主は病んでいる家庭をいやしてくださるからです。

迷い出て失われた者のいやし

 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。(マタイ18章12-14節)

 人はしばしば羊にたとえられます。自分勝手な道に進み迷いやすい存在だからです。しかし、神は迷い出た者をも尋ね出してもとの道に引き戻してくださいます。勝手に迷い出た者が滅びることさえ願ってはおられないのです。なおのこと、私たちが迷っているときには迷う心をいやして正しい道に戻してくださいます。


主はいやすかた

 病んでいる肉体をいやし、もつれた人間関係をいやし、破綻した経済をいやし、恐れる心をいやし、迷う魂をいやし、傷ついた心をいやしてくださいます。

 もし、あなたがいやしを求めておられるなら、そのいやしがどんなことであっても、まず、神と正面から向き合って、神との関係をいやしていただきましょう。そうすれば、どんなことでも、いやしてくださることは神の御心であるということが分かり、神はあなたをいやしてくださいます。