親愛なる祈りの家族のみなさん。
新しい年が始まると、誰もが何らかの期待を持って歩みだすものです。特に若い人たちはいつでも希望にあふれています。また、そうあってほしいと願っています。「今年こそ何かをしよう。」という意気込みを持って胸をふくらますのです。そういう気持ちを抱くことは、年配者にとっても良いことです。たとえ、それが何かの理由で長続きしないようなことがあったとしても、やる気を起こしただけでも大きな進歩です。それを繰り返しているうちに、きっとそれが実現するようになります。
今までの経験から、「きっとこれはだめだ。」と決め付けてはいけません。新しいことを願いながらいつまでも同じところにとどまり続けることはないからです。何か新しい良いことを願ってそれに向かって歩みだし、扉をたたき続けるなら必ず開かれるのです。
神は私たちのためにいつも新しいことを用意してくださっています。
見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
(イザヤ43章19節)
神によって造られた者は、日々新しいことに向かって歩みだしているのです。私たちの目をこの造り主に向けているなら、殺伐としていると思っていた毎日の生活に新しい道が開かれてきて、潤いと生きがいを感じるようになります。なぜなら、神は初めからそう願っておられるからです。
イエス・キリストは十字架によって私たちの過去の罪を全て帳消しにして、新しい人生を与えてくださいました。もう古い過去の罪を引きずって生きる必要はなくなったのです。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント第二5章7節)
ですから、私たちは機会あるごとに神の赦しと愛を思い起こし、神に信頼をおいて新しい明日に向かって足を踏み出していくのです。時間の流れが戻ることがないように造られたことは私たちにその大切さを教えてくれているのです。もし時間が戻せるとしたら、私たちはいつまでも同じことをやり直して、いつまでたっても前に進めないことでしょう。取り戻せないので、いっそう明日への期待が大きくなるのです。私たちが明日に期待を寄せている以上に、主はあなたの次の一瞬に大きな期待と関心を持って見ておられます。
私は健康のためにテニスをやっています。なかなか上手にはなりませんが、いつでも「今度こそはもっとうまく」と期待をしながらやっています。下手だったことや、失敗したことは早く忘れて、次の時に期待を持ちます。きっといつまでたっても自分で満足できるほど上手にはならないでしょうが、「この次にはもっとうまく出来る」という期待だけは持ち続けています。
私たちの毎日の生活もそれに似たところがあるのではないでしょうか。
今は、2003年に起こった色々なことを思い起こすことが多い時かも知れません。数々の辛かったことや苦しかったこと、失敗や悔いなどを数え上げたらきりがありません。あんなことをしなければよかった、こうしておけばよかったと考え出したら夜も眠れなくなります。過去の失敗の反省も大切です。けれども、反省ばかりでは勇気や喜びが湧いて来ません。第一、少しも楽しくありません。それよりもっと多くの時間を次の機会への期待に振り向けたほうが毎日を楽しく過ごせます。
神は愛です。私たちが苦しみや悲しみや痛みや失望を持ち続けることは神の御心ではありません。私たちが喜びに心を躍らせることを禁じたりもなさいません。イエス・キリストが私たちの罪を負って十字架で死んでくださったのは、私たちを宗教的な掟で束縛するためではありません。私たちが負い目を負って恐る恐る生きるためでもありません。あなたが健やかで自由であることが神の願いです。
イエス・キリストは私たちと同じ肉体を持ってこの世に生れ、病人をいやし、足なえを歩かせ、盲人の目を開き、死人さえ生き返らせました。そして、私たちに本当の自由を与えるために死んでくださったのです。抽象的な哲学や深遠な悟りのためではありません。もし、人が自分の力で神に近づこうとするなら、ありとあらゆる努力と修行が必要かもしれませんが、神の方から人に与えてくださる自由ですから単純で直接的です。病や貧困や苦しみからの自由であり、憎み争い傷つけ合うことからの自由です。孤独や死の恐れからの自由です。私たちはもう2度とそれらの束縛の奴隷となって恐れつつ生きる必要はありません。私たちは新しく造られたのですから、新しい目標を持っているのです。
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ5章1節)
今どんなことがあなたを縛り付けていますか。何があなたを恐れさせていますか。病気の不安ですか。経済的な心配事ですか。人間関係の悩みですか。家庭の問題ですか。死の恐れですか。数え上げればいくらでもあります。この世においては私たちはそうした恐れの原因となるものに囲まれているのです。もし、私たちが私たちを自由にしてくださった方から目をそらすなら、それらのことはすぐにでも私たちの心を占領して心配や悩みや恐れの奴隷にしてしまうことでしょう。
イエスは38年間病気を患っていた人に、「なおりたいのか」と言われました。(ヨハネ5章6節)いつまでも過去の絶望的な状態の中にとどまっていると、病気が治って元気になった自分の姿を思い描くことさえ出来なくなってしまうのです。新しくされた自分を獲得するために、新しいことをしてくださる方に目を留め、床を取り上げて立ちあがりましょう。
私たちも「あなたは自由になりたいのか。それとも心配事や恐れの奴隷となっていたいのか。」と問いかけられているのです。この一年があなたにとって一つ一つの問題から解放される一年であってほしいと切に願いつつ、あなたのためにお祈りしています。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛