親愛なる祈りの家族のみなさん。
5月22日はモデーミ・ハンバードの誕生日です。モデーミの歌はいつ聞いても心に響いてきます。
「今は歌う機会はほとんどない」と言っていましたが、私を含めて、世界中でどれほど多くの人がモデーミの歌によって信仰を励まされ、強められたことでしょう。
C Dに入れたモデーミの歌を今でも時々聞きながら「私は自分の生涯でどれほどの影響を人々の心に残しているだろうか」と考えます。私は特に「もう一歩」と「帰っておいで」が好きです。
今は世の海の大嵐に翻弄されているけれど、あの角を曲ってもう一つの試練と困難を乗り越えたら、希望の光が見えてくる。だから頑張って、サタンに涙を見られないよう、世の中には笑顔を見せて、もう一歩、もう一歩を踏み出してごらん。やがて全ての重荷をおろす平安の時がやって来る。
子どもの頃は日暮れまで夢中になって遊んた。夕げ時には遠くから母の呼ぶ声が聞こえてきた。「御飯だよ、帰っておいで。」すると、何をしていても、全部ほうりだして夢中で家にかけ帰った。今は夕げ時「帰っておいで」と呼ぶ主の声を聞いたら、働きを全て終えて天の家にかけ帰るだろう。
モデーミは今年82才になります。今はもう表立った活動はしていません。しかし、その信仰の生涯は多くの人々の心に大切なものを与えました。特別に彼女自身が立派な人格者だったからとか、音楽的な才能が優れていたからという理由ではなく、神を愛し人々を愛する心を賛美の姿を通してありのまま表していたからです。
たとえモデーミのように歌が上手に歌えなくても、ノーベル賞受賞者のようにずば抜けた才能がなくても、神を愛し人々を愛してひたむきに生きることなら誰にでも出来るのです。身近な人にとってはそれが一番心に残ることです。もし、何かを子や孫に残したいと思ったら、苦労の多い割には大してありがたがられず、やがてはなくなってしまうような目に見える財産よりも、目に見えないけれどいつまでも心に残るありのままの生き様を残しておくことだと思います。
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16章33節)とイエスは言われました。人生に困難は付き物です。
もしかしたらあなたも、世の厳しい現実の嵐に翻弄されて、さまざまな苦労を負っておられるかも知れません。暗闇が覆いかぶさり、希望の光が見えてこないと思う時もあるかもしれません。けれども、それを災難や不幸だとは思わないでください。それはいつまでも続くものではありません。今は目に見えなくても、そこの角をもう一つ曲がれば、全てが解決して、輝かしい未来が開けてきます。もう一歩です、困難はあともう一つだけです。その後には素晴らしいことが待っています。
私たちのために、ひとり子イエス・キリストさえ惜しまずに与えてくださった神は、ほかのどんなものでも与えてくださいます。私たちの希望はこの方に置かれているのです。この希望は失望に終わることがありません。ですから、祈りは必ず聞かれるのです。全てのことが働いて益となるのです。
神がそれほどまで私たちを愛してくださるなら、なぜ私たちは困難や苦しみを経験するのでしょう。それには二つの理由があります。
第一の理由は、人が神に反逆する性質を持ったからです。罪の本質は神にそむくことです。その当然の結果として人生に困難や問題がともない、痛みや苦しみを負い、労働を苦痛と感じるのです。
「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。」(創世記1章18-19節)
私たちには人類全体で負うことになった罪に対して、個人個人で神から赦しを受ける使命があります。何事もなくこの世を通り過ぎれば良いのではありません。与えられた使命を負って人生を生きることに意味があるのです。困難も喜びもある人生をどう生きるかによって永遠が左右されるらです。
第二の理由は、「イエス・キリストを信じて罪を赦された人を神がどのようになさるか」が、明らかにされるためです。目に見えない神の恵みと力が、私たちを通して目に見える形に表われるのです。
困難があっても神があなたを見放されたのではないのです。あなたがその困難に打ち勝つことが出来ることを神はご存知だからです。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(コリント第一10章13節)
私たちは今も自分の周りにさまざまな影響を及ぼしています。どんな人でも、自分がそこに存在するというだけで周りの人々に影響が及んでいるのです。神を信じる者にとってはことさらに特別な意味があります。あなたがそこにおられることで目に見えない神の存在を示すことができるからです。それは誰かの役に立つ仕事をしているからではありません。例え誰かの世話になっていても、周りの人に神の愛と恵み深さを感じてもらうことはできるのです。それが人の心に残す価値のあるものです。
私たちが世々にわたっていつまでも残せるもの、それは目に見える形のあるものではありません。目に見えず形がなくてもすばらしいものを残すことができます。あなたは今それを残し続けているのです。神はあなたにその使命を与えて生かしてくださっているからです。
私たちが困難と闘いつつ、神に信頼して平安を得ている姿は周りの人々に必ず伝わります。それによって目に見えない神が確かに働いておられることが感じられるのです。ですから、私たちは神の代理大使です。そう思うと、今どんな境遇にあっても希望と勇気が湧いてきて心が躍ります。あなたもそのように日々心躍らせて生きてくださるようにと心から願っています。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛