祝福のメッセージ:2004ー10

No. 200410

キリストの再臨

 

 イエス・キリストの再臨についてイエスご自身が語っておられることが新約聖書の中にたくさん出てきます。マタイの福音書24章にあるイエスのことばから、再臨がどのようなもので、どのように起こるものかを学ぶことができます。


キリストは人々が見ることの出来る姿で再び来られる

 イエス・キリストの再臨は抽象的なものではありません。外側からは見えない人々の心の中で密かに起こるようなことではありません。誰の目にも明らかな姿で現れる、歴史上の出来事です。

 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ24章64節)


戦争や天変地異は始まりの始まりに過ぎない

 大きな災害や天変地異が起こると、何かのしるしと考える傾向がありますが、それは再臨の前兆ではありません。

 「また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。」(7-8節)


迫害も福音が世界中に広がるための手段にすぎない

 迫害も再臨の前兆ではありません。迫害を受けることによってクリスチャンは世界中に散らされていき、福音が広がるために役立ちました。迫害を受けても心配する必要はありません。神の手が働いてあなたを支えてくださいます。

 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々はあなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。(9-11節)


人々の心が冷たくなるが耐え忍ぶ者は救われる

 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。(12-13節)


神を冒瀆する者が大きな権力を持つ

 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならばユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。(15-18節)


にせキリストに惑わされないように気をつけなさい

 そのとき、あなたがたに『そら、キリストがここにいる。』とか『ほら、あそこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。だから、気をつけていなさい。(23-24節)


天と地が滅び去る前に選ばれた者たちが集められる

 わたしは、何もかも前もって話しました。だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(21-31節)


その日がいつかは誰も知らない

 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。(36節)


最後までキリストに従った者たちが引き上げられる(携挙)

 その時、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。(40‐41節)

 大艱難が起こる前に、主に従った者たちがキリストに会うために地上から引き上げられ、残された者はこれがただ事ではないことを知ります。これによって、信じなかった者も、聖書の教えが真実であったことを悟るのです。どうか、あなたは決してとり残される者にはならないでください。