祝福のメッセージ:2004ー12

No. 200412

信仰 希望 愛

 

消えない信仰

 2000年前の最初のクリスマスにイエスが人の子として地上に生まれて以来、イエスを亡き者にしようとする試みが後を絶ちませんでした。最初はヘロデ王でした。ヘロデは「ユダヤ人の王がお生まれになった」と聞いて、自分の地位が脅かされると思い、心穏やかではありませんでした。そこで2歳以下の子供を皆殺しにしました。しかし、イエスはその危険から不思議な方法で逃れました。

 30歳になったイエスが教えを始めるとユダヤ人の指導者のねたみから執ような反対を受け続けました。そしてついに十字架の刑によって殺されました。彼に従った者たちはそれで全てが終わったと思いました。けれども、イエスは三日目によみがえり、弟子たちにこの信仰を託しました。

 大胆に信仰を伝えていた弟子たちに、危機感を感じたローマ帝国は大々的な迫害を始めました。そのために大勢のクリスチャンたちの命が奪われました。けれども、この信仰はいっこうになくなりませんでした。それどころか、迫害によって散らされたクリスチャンによってその地域一帯にますます広がり、ついにローマ帝国が屈服しました。それからは、またたく間に世界中に広がっていきました。

 力で押さえつけることが効果がないと分かると、サタンは違う手を使い始めます。今度は内部からの堕落と言う形でキリスト教を歴史の中から葬り去ろうとしました。キリスト教会は大きな力を持つようになり、国々をも支配するようになると、世の権力と富におぼれ、その教えは純粋さを失って堕落しはじめました。信仰は、権力と形式ばかりになっていき、このままでは本当の信仰はなくなってしまうかのように思われました。

 その時、ヨーロッパの各地で宗教改革が起こりました。教会は分裂しましたが信仰の教えは純粋さを取り戻しました。

 今の時代は合理主義と世俗化による新たな危機が迫っています。科学技術の進歩とともに物質文明が支配して、心の問題や信仰が軽んじられる傾向が強くなっています。けれども、若い人たちの中にも信仰が受け継がれているのを見ると、これからもこの信仰は決してなくならないという確信が持てます。

 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。(ヨハネ第一2章17節)

 あなたも、信仰を守り通し、あなたが神のみこころを行なって人生を生きる姿によってその信仰を次の世代にしっかり手渡す者となってください。その信仰はいつまでも残ります。

失望に終わらない希望

 信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 (ローマ5章1―5節)

 「希望」は希な望みと書きます。人が抱く希望にはそのようなものが多いからです。けれども信仰によって抱く望みは、ただ願っているだけでも、自分の力で切り開くものでもありません。それは決して動かされることのない確かな土台の上に置かれているものです。

 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(テモテ第一1章21節)

 神のご計画の上におかれた希望は、希にかなえられる望みとは違い、必ず実現する確かなものです。その望みとは永遠の命にいたる望みであって、神の愛から出たものです。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)


神から出た愛

私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(ヨハネ第一4章7-9節)

 人類は利害の対立する人と仲良くやっていくことができずに争いを繰り返してきました。イエス・キリストはそのような私たちに本当の愛がどんなものかを身をもってお示しになりました。自分を犠牲にして人類の本質的な問題を死に至るまで負う覚悟を持った愛です。本当の愛は神から来るものです。神を愛することによって本当の愛を知るのです。その時私たちは神の目にも、人の心にもいつまでも残る愛を実践することができるのです。

 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。(マタイ10章42節)

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。 (コリント第一13章13節)