親愛なる祈りの家族のみなさん。
2005年があなたにとってすばらしい年となりますようお祈りしています。
新しい年を始めるにあたり、あなたに一つのことをお勧めしたいと思います。それは、全てのわずらいや忙しさから離れて静かな時を持つことです。静まって心からイエス・キリストと向き合うためです。日ごろの忙しさのためについ忘れがちになったり、あとまわしにしてしまいがちなことですが、心に平安と確信を持って生きるためには、宇宙の全てを支配しておられ、その中であなたが生きるようにしておられる全能者の前に心を静めて向き合う時間を持つことはとても大切です。神はあなたを限りなく愛し、あなたのことを心にとめておられます。
人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。(詩篇8篇4節)
私は今回のスマトラ島沖地震と大津波のすさまじい被害を見てこう思いました。
ちょうどあの場所に私が居合わせることも十分にあり得ることでした。そこにいたら、私はいったいどうなっていたでしょう。そうしたら、その災害をどのように受け止めたでしょうか。
実際に被害に会われた方は今その厳しい現実にさらされてどんな気持ちでおられるでしょうか。
長い人生の中でちょっとした違いで大怪我をしたり失明したり命を落すところだったということも何度かありました。けれどもなぜかそのつど守られてきました。ですから、今こうして健康に恵まれて生きていること自体が奇跡と言えるのです。私にそれだけの値打ちがあったからでしょうか。決してそんなことはありません。みんなが大切だと思っていた人が災害によって突然取り去られることもあります。神のご計画は人の考えでは計り知れません。私が今生かされているのは、ただ神の恵みによるのです。そう思うとき私は神の前にとても謙虚にされます。つね日ごろからいつでも、神の前に立つ備えができていることがどんなに大切かを考えさせられます。
私たちが最終的に神の御前に確信を持って立つことができるためには、いつも神と向き合う時間を持つことです。そして「私はイエス・キリストを私の救い主として信じています。」と告白するのです。そうすればいつでも安心して神の前に立つことができます。それは決して難しいことではありません。なぜなら、イエス・キリストが私たちの罪を全て取り除いてくださったので、私たちは何の咎めもなく神の前に出られるようになっているからです。神に顔向けできなかった数々の罪は、全てイエス・キリストがご自分の命をかけて償ってくださいました。もはやあなたは何も咎められることなく神の御前に出られるのです。イエス・キリストを信じて心に迎え入れること以外に何の条件も求められることはありません。それがどんなに大きな恵みかは計り知れません。
多くの人が「私はあの人のような立派な信仰がないので、まだ神の前には出られない。」と思ったり、「私にはまだこのような欠点や悪いところがあるので、神は私を受け入れてはくださらないだろう。」と考えたりしがちです。
あるいは、神は潔く完全であることを求めておられるので、その厳しい基準にはほど遠い自分に失望して、救いの確信が揺らいだりなくなったりする人もいます。
確かに、神の基準は高く、私たちにはとうていそれを満たすことはできません。神は聖なる方ですから罪をそのまま許しておくことはできません。また、罪人をそのままで永遠のいのちに迎え入れることもできません。なぜなら、罪は神を拒み、神に反逆することだからです。神と罪とは永遠に一緒にはならないのです。
けれども、神の基準や条件が厳しいから救いの確信が得られないのではありません。その高い基準を満たすのは私たちではなくイエス・キリストだからです。イエス・キリストは神の要求を完全に満たし、神に喜ばれた方でした。
キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」(ペテロ第二1章17節)
あなたがイエスを心の中に迎え入れ、心をむけてそのことばを思い起こす時を持つようになると、イエス・キリストがあなたの生活の中心になってきます。イエス・キリストの教えとそのことばを心にとどめ、思い浮かべ、親しみ、実践しようとしていると自然にイエス・キリストがあなたの人格の大きな部分を占めるようになります。
すると、神があなたをご覧になる時、あなたの心の多くの部分を占めているイエス・キリストをご覧になるので、あなたを御心にかなった者として、喜んで迎えてくださいます。神はどんなに大きな犠牲を払ってでも何とかしてあなたを永遠のいのちに迎え入れたいと願われたのです。あなたを罪から救い、神の子どもとして受け入れることが神の御心なのです。あなたは初めから神に愛されていたからです。私たちが自分の力で神の基準に到達できないことを神は初めからご存知です。ですから、あなたが神の前に完全ではないからと言って、そのことで心配する必要は全くありません。私たちの望みはただイエス・キリストにかかっているのです。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。(ローマ5章8-10)
どうかイエス・キリストを心に受け入れて、日々確信を持って神と向き合う時間を持ってください。イエス・キリストをあなたの生活の中心に置いて、そのことばと教えとをいつも心に持っていてください。そうすれば、あなたはいつ神の前に立たされても安心して御前に出られます。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛