親愛なる祈りの家族のみなさん。
宇宙にはたくさんの電波が飛び交っています。アメリカの航空宇宙局は莫大な費用をかけて巨大なアンテナがいくつもある通信設備を持っています。地球から遥か彼方を飛んでいる火星や土星や冥王星などの探査機と通信をするためです。それによって、探査機が今どこを飛んでいて何をしているかが地球にいても手に取るように分かるのです。そのほかにも、宇宙の彼方のどこかから誰かが呼びかけているのではないか、何か意味のある通信が送られて来てはいないかを調べています。また、地球からも宇宙に向けて電波の信号を送って、どこかで誰かがそれを受け取って返事をしてくれるのではないかと期待をしています。当然のことながら、今のところ何の応答もありません。
人は誰でも知らない相手と何とか交流を持って相手の気持ちを知っておきたいと願うものです。
近所に新しい人が引越してきたら、その人がどんな人で何をしていて、どんなことを考えているのか知りたいと思います。その人たちが親切で優しい人たちだったら良いと思いますが、相手のことが分かるまではどちらも心配していなければなりません。お互いのことが分かれば安心できるのです。
けれども、思い切って話しかけて親しくならなければ、いつまでたっても不安のままでいなければならないでしょう。もしかしたら、とんでもない誤解をしてしまうかもしれません。
私は小さい頃、近くにいたよその犬の頭をなぜてあげようとして手をひどく噛み付かれて大怪我をしたことがあります。私は決して敵意を持っていたわけではありません。ただ可愛がってあげたかっただけでした。けれども犬にはそれが分かっていなかったのです。誰とも知れない子どもがいきなり手を出して頭に近づけてくるのですから、何をされるのか分からず、つい身を守るために攻撃してしまったのでしょう。もし、私が大人だったら、その犬を捕まえて保健所に連れて行き「危険な動物」として処分してもらったかもしれません。そうなっていたら、犬にとってもとんでもない災難だったでしょう。
お互いを知らないでいることはとても不幸な結果を招くことがあります。どんなに良く分かっていると思っていても、日ごろから話し合い、お互いのことを知っておくことが大切です。
あなたは宇宙のすべてのものをお造りになり、全てのものを治め、私たちを生かしてくださっている神の御心をもっとよく知りたいと思いませんか。神は何のために全てのものを創造なさり、なぜ私たちを地球上に生まれさせ、私たちがどのような生き方をすることを願っておられるのかがはっきりと分かったらどんなに安心できるでしょう。
私たちは何よりも神の御心を知りたいと願っています。神はこれからの私が何をして、どのように考え、どう生きていくのを願っておられるのでしょう。
イエスは「神の御心に沿った祈りは必ず聞かれる」と言われました。自分の祈りが必ず聞かれるとしたらどんなにいいでしょう。しかし、どうしたら神の御心を知って、それに沿った祈りをすることができるのでしょう。
神のように、きよく正しく、研ぎ澄まされた心を持たなければ神の御心が分からないのでしょうか。もしそうだとしたら、いったい誰にそれが出来るでしょう。
罪のために心が曇り、いつでも自分のことが中心になっている私たちには、全てを捨て去って神に近づくということが出来ません。では、私たちは永遠に神の御心を知ることが出来ないのでしょうか。
私たちの努力では神のもとに到達することも御心を知ることもできませんが、神の方から私たちに近づいてくださるなら、私たちは神を近くに感じて、身近に知ることが出来るのです。
神は宇宙の遥か彼方から呼んでおられるのではなく、この世にひとり子イエスを送って人類と通信をして来られました。神からの通信は「神は愛である」というメッセージです。私たちがその通信を受け取ってそれに答えるなら、神と私たちとの間に信仰という交流が成り立ちます。私たちが日々神と信仰の交わりを続けることによって親しみを深め、神の御心を知ることができるようになるのです。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1章9-13節)
神が人となってこの世に下り、私たちの間に住まわれたのですから、その方によって神を身近な方として感じ、私たちにも神の御心が分かるようになります。神は遠くにおられる方ではなく、敵でも他人でもなく、私たちの味方になって私たちを愛し、私たちに良くしてくださる方なのです。私たちはイエス・キリストを通して神を知ったのです。イエス・キリストは神ご自身だからです。
わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネ14章9節)
私たちはイエス・キリストの姿と同じようになります。神が世に下って人と同じ姿になられたように、今度は私たちが神の御心を行ない、キリストの姿に似たものになりたいと願うようになりました。
もし、イエス・キリストがこの世に来られなかったら、私たちはどんなに努力してもいつまでたっても御心を知ることが出来ず、まして、神のようになるなどとはとうてい考えられなかったでしょう。けれども、イエス・キリストがこの世に来てくださったことによってそのことが可能になったのです。
聖書は、私たちはやがてイエス・キリストと同じ姿になると約束しています。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3章21節)
確かに私たちは今は弱い存在で、キリストの姿とはほど遠いと感じます。それは私たちが肉の弱さを持っているからです。けれども、イエス・キリストは私たちと同じ肉の弱さを負うためにこの世に来てくださいました。あなたや私の弱さを完全に知った上で私たちをご自分と同じ姿に近づけてくださるのです。ですから、何も心配しないで、神の全能の力を信じてお任せしようではありませんか。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛