親愛なる祈りの家族のみなさん。
あたり一面、さまざまな色に咲き誇る花また花に埋め尽くされるようになりました。今まで気がつかなかったところにも急に見事な花が咲いて「ここに私がいましたよ。」と言っているみたいです。自然界が生き生きと活動して、何を見ても美しく見えます。今の季節を心ゆくまで楽しんでください。寒い冬を忍耐して過ごしたあなたに神がくださった褒美です。
私の仕事場の窓から少し離れたところに散歩道があり、小米桜が見事に咲いているのが見えます。真っ白な花が散歩道に沿って長く続いているのを見ると、他の人にも知らせてあげたいと思います。自分ひとりで楽しんでいるだけではもったいない気がするのです。
「あの公園の桜は本当に見事です。」と、わざわざ写真を添付して知らせてくれた友人がいます。その人も、良いものを他の人とともに味わう喜びを知っているに違いありません。
本当にすばらしいものは自分だけで独占していたくないと誰でも思うものです。少なくとも自分の家族や親しい人たちと一緒に喜びを分かち合いたいと思うからです。
比較的飛行機に乗る機会の多い私は、たいていの場合、格安航空券を使います。しかも、その中で一番安いものを見つけて出かけます。「こんなに安い切符が手に入りました。」と他の人に教えてあげることも喜びの一つです。
ところが、何年か前のこと、仕事を終えてアメリカから帰る時でした。アメリカ事務所が私のために日本航空の東京行き一等席を用意してくれました。後にも先にも国際線の一等席に乗ったのはこの時だけでした。
いつもは混み合った待合室にいて、搭乗時間になると並んで順番を待って乗り込みますが。その時ばかりは広い待合室でお茶のサービスを受けながらのんびりと待っていると、私を呼びに来てくれて、係員に案内されて別の入口から飛行機に乗り込みました。
乗ったことのある方ならご存知と思いますが、中はとても広々とした感じでとても快適でした。サービスも大変良くいき届いています。
それはジャンボ機で二階が全て一等席で、正面の半円形の壁が天井まで大きな絵になっていました。しかも、乗客は私とビジネスマンらしいもうひとりの男性だけで、その人は始めから終わりまで寝ていました。ですから、その時の便では食事その他のサービスが全て私だけのためでした。
今までに何度も飛行機で旅行をしましたが、こんなに快適な旅行をしたことはありませんでした。けれども、私は思いました。「こんなにすばらしい旅を自分ひとりだけで味わうのは何だかつまらない。親しい人と、特に家族とともに楽しむことができたらもっと良かっただろうに。」
飛び切りに良いものを、自分ひとりだけで味わうのはつまらないだけでなく、いっそう孤独を感じて、ほかの人にも分けてあげたい、一緒に喜びたいという思いにかられるのは私だけでしょうか。
人類が神に背いて神の住む楽園から追放されて以来、天の御国は神だけが住むところとなりました。永遠に続く究極の住まいである天の御国を、神はご自分だけのものにしたかったのでしょうか。いいえ、むしろ、こんなに良いところにほかの被造物も招きたいと思われたに違いありません。しかし、私たちは神に背いた反逆者です。神に背く性質を持ったままでは神と一緒に住むことは出来ません。罪を持った人類が神とともに永遠に住むことが出来るためには、まず、罪の性質が取り除かれる必要があります。そこで、イエス・キリストが救い主として世に送られることになったのです。
イエス・キリストは神と等しく、神の性質を持って人間としてこの世に生まれました。そして、罪のない完全な人として神に喜ばれ、受け入れられる生涯を歩まれました。
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。(マタイ17章5節)
では、そのような完全な方がなぜ十字架にかからなければならなかったのでしょう。それは私たちの罪の身代わりとなるためでした。十字架の苦しみは、肉体的に情け容赦のない痛みであり、精神的には神の支えを得られず、霊的にも神から見放されることによる究極の苦しみです。神から離れた罪人である私たちが最終的に受けるべきものです。イエス・キリストは私たちに代わってその苦しみを負ってくださいました。そればかりではなく、イエス・キリストを信じて心に受け入れている者は神がイエス・キリストの完全さをその人のものと見てくださるのです。
神はそのようにしてまで、ご自分ひとりだけが住むところとなってしまった天の御国を私たちにも受け継がせたいと願われたのです。究極の住まいである天の御国を、神はご自分だけのものにしておきたくはなかったのです。
小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(ルカ12章32節)
美しい花も一時的で、やがては散ってしまいます。快適な一等席の旅も数時間後には終わり、再び雑踏の中に放り出されます。けれども、神は、美しさも快適さも永遠に変わらない、天の御国を私たちのために用意しておられます。
ですから、花が散っても寂しくはありません。格安航空券の旅も平気です。年をとって多少体に痛いところが出てきても我慢できます。神が用意してくださった御国をイエス・キリストを信じている多くの人々とともに確実に受け継ぐとき、私たちが失格者となることのないよう、あなたとともに信仰を全うすることが今の私の使命だからです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛