親愛なる祈りの家族のみなさん。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8章31,32節)
国家による拉致というとんでもない事件がありました。ある日突然自由を奪われ、家族から引き離され、他国での生活を強いられるのはどんなにか大きな苦しみだったことでしょう。
他人の身勝手な理由によって個人の自由が奪われることは重大な損失です。自由が束縛されることは命を取られるのと同じくらい重大なことです。ですから、自由であるということはとても大切です。
おそらく日本は世界中のどの国よりも安全で自由があると思います。今私たちは何をするにも自由が保障されています。どこへ行ってどこに住んでも自由です。外国にも自由に行けます。人に迷惑をかけない限り何をしても自由です。昔の軍国主義の時代のように、国の支配者たちによって強制されたり束縛されたりすることはありません。自分のことは自分で自由に選ぶことが出来るのです。けれども、それだけで人は本当に自由だと言えるのでしょうか。
自由とは勝手気ままな行動をすることとは違います。責任がともなうものです。何をしても自由だとはいっても他人に迷惑をかけて、その人の自由や権利を奪ったり損なったりしてはいけないからです。また、自由に振舞うために生じてくる代償は自分で支払わなければなりません。自由に行動することによって起こる結果も全て自分で負わなければなりません。ですから、人の自由には代償が伴い、気をつけて行動しなければ後で困ったことになるかも知れないという不自由さを持っているのです。
アメリカではプールや海岸や登山道などの公の施設にwith your own risk「自己責任で行動せよ」と書かれている看板を見ます。「ここでは多少の危険が伴うこともありますが立ち入り禁止にはしませんので自由に利用してください。ただし、自分で自分の安全を確保できる範囲で行動してください」と言う意味です。
人の指図を受けることが嫌いなアメリカの人々は公の施設を立ち入り禁止にしたり、制限をしたりすることを嫌います。多少危険が伴うことを承知の上で、自分の責任でそれらを利用することには慣れていて、代償を承知の上で多くのスリルや醍醐味を満喫しているのです。
けれども、イエスが与える自由はそのようなものではありません。人間の内側にある束縛から解放する本質的な自由です。制度や環境や外からの力によって奪われてしまうことはありません。一つの自由を追い求めることによって他の自由を失ってしまうようなものでもありません。あなたを束縛して不自由にしているあらゆる力から解放される究極の自由です。
「ですから、もし子(イエス)があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」(ヨハネ8章36節)
イエスは私たちを罪から解放して自由を与えてくださいました。
罪を犯している者は罪の奴隷となっているのです。自分の力で罪の性質から逃れようとしても逃れられません。一つの悪い習慣でさえなかなか改めることが出来ないのです。まして自分で自分の罪の性質を変えることは出来ません。けれども、神はイエス・キリストによって私たちを罪から解放してくださいました。その自由の代償はイエス・キリストが全て支払ってくださいました。
聖書は人を自由にする真理を私たちに伝えています。
聖書はただクリスチャンだけの書物ではありません。昔から多くの人々が聖書を読んでいました。いつも世界のベストセラーであり続けました。確かに、聖書は人を励まし、力づけ、慰めとなります。ですから、信仰と切り離して聖書を座右の書とし愛読している人は少なくありません。
けれども、聖書のことばは単に人生哲学や生きる意味を悟らせたり、慰めたりするだけではありません。イエス・キリストによる罪からの解放と永遠のいのちの道へと導くものです。
一度読むだけでその真理を見出すという人はほとんどありません。ですから「私のことばにとどまりなさい」とイエスは言われたのです。いつも聖書のことばに親しみ、目をとめ、口ずさみ、そば近くに置いて読み続けることによってキリストの弟子としての自覚を持ち、キリストの語る一つ一つのことばを通して真理を心で理解するのです。聖書のことばを頭だけの知識として知るだけでは真理を見出すことは出来ません。なぜなら、イエス・キリスト自身が道であり真理でありいのちだからです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ4章16節)
「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。」
(ヨハネ18章37節)
真理は私たちを自由にします。心に不安を持っているとき、私たちは自由ではありません。心配事で心が沈んでいるときも自由ではありません。病気や経済的な不安におびえているときも自由はありません。死の恐れや不安があるときも自由はないのです。イエス・キリストはそのような不自由から私たちを解放してくださいます。あなたの問題や心配事や病気や経済的な不安から開放して平安を与えてくださるのです。人間関係のさまざまな問題や煩いからも解放してくださいます。私たちはそれらのものから解放されて永遠のいのちの希望に輝くことができるようになります。そのときあなたは本当に自由なのです。
それは、単に人に迷惑をかけず、どんな結果も自分の責任で負う限り、何をするのも自由である、という代償をともなった自由ではありません。イエス・キリストの真理のことばによって永遠の観点から見た自由であり、どんな束縛からも解放された永遠のいのちにいたる自由です。
どうか、この自由を思いきり楽しむ人になってください。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛