祈りの家族への手紙:2005-06


 親愛なる祈りの家族のみなさん。

 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。(テモテ第一 4章4節)

 昔、小学校の教科書に、「牛は爪先から頭のてっぺんまで全て利用できる役に立つ動物です。」と書いてあったことを今でも覚えています。確かに、牛は肉だけでなく骨も皮も角も爪もあらゆる部分が人間の役に立ちます。何ていい動物だろうと思いました。けれども、最近はそう言えなくなりました。牛の脳や脊髄にはBSEという悪い病気に感染する危険性があるという理由から、必ず取り除いて、捨てなくてはいけないことになったからです。

 神が造られた物は全て良いものです。しかも、神はそれらの良い物を他の誰のためでもなくあなたのために造られました。しかも、あなたの人生も神の作品であって何一つ捨てるべき物はないのです。

 では、神が造られた物がみな良いものなら、なぜ世界には戦争が絶えず、人は不幸だと感じたり、苦しんだり悲しんだり絶望したりするのでしょう。なぜ、有害な物や捨てなければならない物ができてしまうのでしょう。なぜ、私たちは「全ての物は良いものばかりだ」と素直に言うことが出来ないのでしょう。それは神のご計画がまだ完成していないからです。

 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。(コリント第一 13章12節)

 私たちは自分が今見たり感じたりしていることにもとずいて物事を判断しますが、その目が濁っていると正しく見ることが出来ません。また、近視眼的で目先のことばかりに気をとられて先々のことがいっこうに見えないことが多いのです。

 神は全てのことを始めの始めから終わりの終わりまで知りつくしておられ、それがどのように私たちの益となって働くのかを、最初から承知しておられるのです。

 私たちは全てのことを正確に見て判断することが出来るほどの澄み切った目を持ってはいません。また、永遠の先を見通せるほどの長い目を持ってはいません。ですから、今起こっている様々な出来事にうろたえ、これから先どうなって行くのかを心配するのです。どんなにうろたえても状況は良くならず、どんなに心配してもそれによって未来が変わるわけではありません。

 神は私たちに対する限りない愛のゆえに、私たちの内にある全てのことを用いて、私たちの益となるように仕向けてくださいます。私たちは信仰によってそれを受けとめて、自分の進むべき道をご計画に合わせて行けば良いのです。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8章28節)

 無から有を創造された全能の神は、私たちにかかわるどんな出来事でも、どんな状況でも私たちの益になるよう働かせることがお出来になります。ですから、私たちが感謝してそれを受け取り、神を愛し、その善意に全面的に信頼するなら、その信仰によって、今はまだ見えていない私たちの完成した姿を受け取ることが出来ます。私たちに対する神の愛と善意を信じて受け取るのです。

 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
 (ヘブル11章1節)

 ですから今直面している困難のゆえに意気消沈してはなりません。どんな訓練でも当面は喜ばしいとは感じません。苦しいことよりも楽しいことの方が良いし、悲しいことよりも嬉しいことの方が良いに決まっています。けれども、後で振り返って見たとき、何事もなかったよりも、困難を乗り越えて来たときの方が人生の貴重な一こまとしていつまでも残るのです。多少は苦しいことや悲しいことがあっても、生まれてきたことや生かされていることにはそれなりに大きな意味があり、良かったと思えるものです。

 生まれてこなければ良かったとか、生きていても意味がないという人がいます。本当につらい時、そう感じる人の気持ちは良く分かります。けれども、そう思うのは一時的な感情によるのです。それを乗り越えて生きて行くことは、それだけでも意味があります。しかも、私たちが振り返って見た時、苦しかったことやつらかったことの全てが益となって働いたことをはっきりと見ることが出来ることでしょう。神は最終的には全てのことを私たちの益として働かせてくださり、私たちの人生を最高に良いものにしてくださるからです。

 あなたは「自分の生涯にはなぜ困難な道があり、問題が多いのだろう」と思うことはありませんか。たとえそうだとしても、それはあなただけではありません。

 小説家林芙美子は、「花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき」と言いました。徳川家康は、「人は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し・・」と言い残しました。私たちはともすると、色々な資材や道具や機械が散らばっていて、今は危険で汚い工事現場だけを見がちです。急がず、あわてず、そこに立って完成された美しい建物を想像することのできる信仰の目を持とうではありませんか。

 神の設計図はまだ完結してはいません。神は今もあなたの内で日々働き続けておられます。困難も、平穏も、悲しみも、喜びも、あなたが経験するあらゆることの中には神の配慮が込められています。また、あなたの行ないや言葉や考えること全てを益となるように用いて、あなたの永遠的な人格を造りあげてくださるのです。ですから、あなたの人生に起こるひとつひとつのことの背後に働いておられる神の愛を思って、いつも喜び、感謝しようではありませんか。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

       日本主事 桜井 剛