祈りの家族への手紙:2005-07

 
 親愛なる祈りの家族のみなさん。

 偉大な使徒、パウロも肉体に一つの弱さを持っていました。その弱さの故に悩み苦しみ、何度も、「どうかこのとげを私から取り除いてください」と神に祈りました。その時の祈りの答えがこの聖書のことばでした。

 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(コリント第二 12章9節)

 神の力は、私たちの弱さのうちに完全に現われるのです。私たちの強さの中にではありません。

 人は誰でも弱さを持っています。その弱さのゆえに悩んだり苦しんだりするのです。弱さのない人など一人もいません。

 私自身も今までの働きを振り返って見ると、自分の力だけでは出来なかったことがたくさんあって、それを危うくも何とか切り抜けてきたことを思うと恥じ入るばかりです。それでも神のあわれみに助けられて多くのことを無事に果たすことが出来ました。その結果を見たときそれが自分の力だけでは出来なかったことが明らに分かります。神の力は私たちが弱さを自覚したときに一層力強く働いて、私たちの能力を超えた大きな業を成し遂げさせてくださいます。

 あなたは今、ご自分の弱さのために悩んでおられませんか。肉体的な弱さ、家族の問題、人間関係の問題、経済的な困難、あるいは自分自身の性格的な悩みもあるかも知れません。もし、そうした弱さを持っておられたとしても、決して一人で悩んだり、心配のあまり平安をなくしたりする必要はありません。その弱さは私たちの想像をこえた神の知恵と力が働く場所となるからです。それを神の力の現れるきっかけとしてください。神の力は、私たちの弱さのうちに完全に現われるからです。

 私にはまだ2才にも満たない小さい孫がいて、やっと自分ひとりで遊ぶことができるようになりました。けれども、どんなに夢中になって遊んでいても、母親や私たちがそこにいることを確かめるかのように時々振り返り、また遊びます。母親が目を離すと直ぐに探しに来ます。いつも自分に母親の目が注がれていないと安心して遊ぶことができないのです。

 私たちは神が私たちを愛し、いつも私たちを見守っておられることを信じています。けれどもどうやってそれを確かめるのでしょう。神がいつも見守っておられることがどんな時に分かるのでしょう。

 宇宙の全てのものを創造なさり、それを今も完全に治めておられる全能の神が、大宇宙の中の小さな星のかけらの一つに過ぎない地球の片隅で、何十億人の中の一人として短い一生を送ろうとしている、取るに足りない人間の一人である私を、本当に気にかけておられるのでしょうか。誰もがそう感じることがあると思います。しかし、私たちが自分の弱さを自覚して神の助けを求める時、神はそこにいて働いてくださいます。その時、神が私たちの弱さの中に働いてご自分の栄光を現わされるのです。神はそれほどまでに私たちのことを心にかけて愛してくださいます。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
 (ヨハネ3章16節)

 神は目的もなく宇宙を創造し、私たちをお造りになったのではありません。あなたが空の星を見てその美しさと宇宙の広さとを思い、永遠への思いを新たにするとしたら、それだけでも神が弱い小さな私たちのために宇宙をとてつもなく大きく造られたことの目的が果たされたに違いありません。

 最近アメリカへ行った時、アメリカでは多くの場所で人の快適さのためには惜しみなくふんだんに空間を使っていることを改めて実感しました。特に、高速道路が交差するところでは車が安全に行き先を変更できるように、かなり遠くから専用の道を通って楽々と別の道路に入れるようになっています。そのためには惜しみなく広大な土地が使われます。建物の中でも、階段や出入り口は、別の場所へ行く通り道というだけではなく、なくてはならない大切な空間であるかのように、途中で他の人にぶつかったりしないように、また楽しくそこを通って行けるように大きく作ってあります。もちろん、それは土地の広いアメリカだから出来ることです。

 神は私たちのために宇宙空間を惜しみなくふんだんに使ってその壮大さや美しさによって私たちが大切な存在であることを知らせておられるのです。小さな私たちが生命を維持するためだけなら、宇宙ステーションのような集約された小さな空間があれば十分です。けれども私たちが永遠を思う心を養われ、宇宙の全てを造り、治めている方がおられる事を感じ取るためには、どこまでもどこまでも無限に広がる宇宙空間が必要だったに違いありません。今度あなたが星空を眺める機会があったら、どこまでも続く満天の星空があなたのために造られたものであることを思い起こしてください。

 どんなに優秀で強い人でも自分の力を誇り、それに頼り過ぎると思わぬ失敗に陥ります。けれども自分の弱さを自覚し、振り返るとそこに神の助けがあることを知っている人はいつでも平安でいられるのです。

 あなたが弱さを感じたり、力の足りなさを思い知らされるような時には、その時こそ神が働いてくださる時であるという期待を持ってください。そのような単純で純粋な信仰を神は喜ばれ、あなたの弱い時には一層力強く働いてくださいます。神の力は私たちの弱さの中に現わされ、それによって、私たちの能力ではなく、神の力が栄光を受けるのです。

神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。
(詩篇51篇17節)

 あなたは愛されています。 

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       日本主事 桜井 剛