祈りの家族への手紙:2005-09

 
 親愛なる祈りの家族のみなさん。

 「何万年も前の骨が発掘され、進化の行程をつなぐ役に立った」という報道がありました。進化論と創造論との決定的な違いは科学的に証明されるかどうかではありません。たとえ進化論が科学的に証明されたとしても、「私は何のために生まれてきたのだろう」という疑問に答えてはくれません。

 全てのものがどのように出来たと誰がどう説明しても、どうつじつまを合わせても、また、私たちがそれを理解出来ても出来なくても、神が目的をもってこの宇宙とそこに住む私たちを造られたことに変わりはないのです。あなたも私も偶然に出て来たのではありません。神の意思によって造られ、生まれてきた目的と役割があるのです。そこが大切です。神は私たちを目的に従って生かし、一人づつ名前を呼んで召し出しておられます。

 モーセは荒野に逃れて羊の番をしていた時、神の声を聞きました。

 神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。(出エジプト記3章4節)

 サムエルは幼い頃、神殿の中で寝ていた時、神の呼びかけを聞きました。

 そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。(Ⅰサムエル3章10節)

 パウロはダマスコの町に向かう道で神の声を聞きました。

 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒の働9章4-6節)

 私たちの信仰の模範と言うべきこれらの人々は、神が彼らを名前で呼ばれるのを聞き、その声に答えて、彼らに知らされた目的に従って人生を生き抜いたのです。

 ダビデは詩篇の中でこう歌っています。

 「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」(詩篇139篇15、16節)

 主はエレミヤにこう呼びかけて、お召しになりました。

 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」(エレミヤ1章5節)

 あなたが生まれる前から神はあなたの人生を計画しておられました。意味なく生まれてきたのではありません。主はあなたの人生の目的に従ってあなたを生かし、名前を呼んでその目的にお用いになります。人はそれに答えることも答えないで自分勝手な道に進むことも自由です。けれども、生まれる前から神が人生に目的を定めておられたことには変わりはないのです。

 あなたの長い人生で、どんな職業に就き、どんな役割を果たすかだけでなく、毎日の生活にも神は目的を持っておられます。いつもと同じ一日であっても、特別に困難の続く日々であっても、その一日一日に神の目的と役割があるのです。その全てが果たされるまではあなたの人生は終わりません。

 今から30年前、私はアメリカで働きながら勉強していました。

 その前には4年間日本で小さな教会の牧師をしていました。教会は少しづつ成長し、イエス・キリストを信じてクリスチャンになる人も増えていましたが、それでも何かが足りないことを感じました。

 思い切って決断し、家族そろってアメリカに留学しました。そこではたくさんのことを教えられ、後になって大いに役立ちましたが、それでもどこかで歯車が合っていないように感じていました。その頃ハンバード牧師に出会ったのです。

 ハンバード牧師から世界宣教の使命を語られ、ハンバード牧師が抱いていた日本の人々への伝道に対する情熱を知らされた時、神からの声を聞いたような気がしました。

 それ以来たくさんの困難が待ち受けていましたが、私の人生の目的がはっきりと知らされている気がして心はいつも平安でした。

 神の声を聞く時期は人によって違います。必ずしもサムエルのように若い時とは限りません。もしかしたら、モーセのように年老いてからかもしれません。彼が神の声を聞いたのは80歳の時でした。

 もしかしたら、あなたはすでに神の声を聞きそれに従って歩んでおられるかも知れません。もしそうだったら本当に幸いです。そうでなかったとしても、神はすでにあなたをご計画の中に入れておられるのです。いつか神の声を聞き、あなたの人生の目的が何であったのかを知らされる時が来ます。それは今日かも知れません。その時には素直な心で「主よ、私はここにいます。お話しください。」と答えてください。あなたの心は大きな平安で満たされることでしょう。

 神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。(ヘブル4章7節)

 あなたの人生にどんなことがあろうとも、神はあなたを特別に愛しておられます。

 忘れないで下さい。あなたは愛されているのです。

レックス・ハンバード世界宣教団  

       日本主事 桜井 剛