No. 200509
真実の祈りには力がある
不当に投獄されたパウロとシラス
イエスの弟子たちが伝道の働きを力強く進めていた初代教会の頃、奇跡的なことが次々と起こり、日に日に信者の数が増し加わり、福音は爆発的に広がって行きました。迫害もその頃からすでに始まっていました。
パウロとシラスは人々の妬みから不当に捕らえられて鞭で打たれ、牢屋に入れられてしまいました。けれども、彼らはその不当な仕打ちを恨んだり嘆いたりはしませんでした。
ローマの市民権を持っていたパウロは、丁重に扱われるべき身分でした。直ぐに抗議する権利があり、それが聞かれるだけの地位でしたが、彼は黙って牢に入りました。福音宣教の熱に燃えていた彼らにとっては牢屋の中も外も同じだったのです。
彼らは牢屋の中で鎖につながれていても外にいた時と同じように主を賛美し、礼拝をしていました。それがむしろ大きな伝道となり、そこにいた看守たちや囚人たちの心に福音のメッセージが浸透していきました。
真夜中頃地震が起こり牢屋の扉が全部開いて、鎖もはずれてしまいました。警備をしていた看守は囚人たちが皆逃げてしまったと思い、厳しく責任を問われることを恐れて自害しかけました。その時パウロが叫びました。「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」
パウロとシラスが出て行かなかったので誰一人逃げようとしなかったのです。看守はパウロとシラスの前にひざまずいてこう言いました。「先生方、私が救われるためにはどうすればいいのでしょう。」
彼らの答えは簡単でした。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16章31節)
これらのことが起こっている間中、信者たちはペテロの場合と同じように、パウロとシラスのためにも熱心に祈っていたに違いありません。
教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。(使徒の働き12章5節)
意地悪されても祈り続けたサムエルの母ハンナ
ハンナには子どもがありませんでした。夫は理解し慰めてくれましたが、当時の女性にとって、子どもが生まれないことは恥とされ、呪われているとさえ思われていたため大変肩身の狭い思いをしていました。その上、意地悪な人はハンナの境遇をあざけり、ますます彼女の苦しみを増し加えました。ハンナが日夜涙ながらに主に祈ると、主は祈りに答えて彼女に息子を与えてくださいました。彼女はその子をサムエル(主に願った子)と名づけ、主に献げたのです。
不良息子オーガスチンのために祈り続けた母モニカ
オーガスチンは始めからクリスチャンだったわけではありません。むしろ大変な放蕩息子で、いつも母親の嘆きの種でした。毎夜友達と遊ぶために出て行く時、母親の寝室のそばを通り、母が祈っている声をかすかに聞きましたが、何を祈っていたのかは知りませんでした。けれどもその祈りの声は神の耳にははっきりと聞こえていたのです。「祈りの子は滅びない」彼女はそう確信して祈り続けました。
後にオーガスチンは改心し、今日の教会の歴史とキリスト教の神学に大きな貢献をしました。
祈りの力は祈る人が世を去った後も働き続ける
病気の母親のもとに二人の息子が駆けつけました。この息子たちは幼い頃母に連れられて日曜学校に行っていましたが、成長するに従って教会を離れ、今では信仰とは無縁の生活をして母親を悲しませていました。母親は言いました。「お前たちがしっかりとした信仰に立ち返るまでは、私は死んでも死に切れないよ。」息子たちは「それならいつまでも元気でいなさい。」と言って笑いました。この母親は息子たちの救いのために長年祈り続けていましたが、ついにその祈りは成就することなく病気で亡くなってしまいました。
牧師は告別式の席で、生涯をかけた母親の信仰について語りました。息子たちも聞いていました。母がいつも自分たちのために日夜涙ながらに祈っていたことを知らされ、その場でイエス・キリストを信じました。こうして、長年にわたる母親の祈りの力は彼女が世を去った後にも働き続けたのです。