親愛なる祈りの家族のみなさん。
長い旅行をする時は、切符やパスポートや着替えなどの持ち物の準備を怠りなくするのはもちろん大切なことですが、より快適な旅行のためには心の準備をしておく必要があります。
これから旅行に出るという時、この旅行の意味と目的をしっかりと心にとめて備えるのです。大切なことをうっかり忘れてしまったり、目的を思い通りに果たせなかったりしないように、あるいは、簡単に体調を崩して旅行を台無しにしてしまうことのないよう体にも気をつけなければなりません。とかく、持ち物のことばかりに気をとられてしまい、心の準備が出来ていないことが多いからです。これからいつもとは違う生活が始まるのだという心構えが出来ていないと、その旅行が負担になってしまうからです。前から楽しみにしていたはずなのに、なんとなく心配で心が重くなってしまうということはありませんか。それは、体は出かけていても、心をまだ家に残しているからです。
旅に出る時には、様々な準備が必要ですが、その準備の時を負担と思わずに十分に楽しむべきです。
私たちの人生でも同じことが言えます。特に、高齢化社会と言われている昨今、若い人たちにとっても老後のことが大きな問題になっています。
ところが、老後の保障や年金制度についてはしばしば取りざたされていますが、「それらの日々をどのような心構えで生きたら幸せに過ごせるのか」ということの方がもっと大切です。さらに、地上の生涯をどのように締めくくり、次のステップをどう迎えるかについてしっかりとした確信を持っていないと、平安が得られません。私たちの人生ではそこが一番大切なことではないでしょうか。
人は誰でも漠然と死を恐れています。それは生きている者の自然な性質であって、大切なことです。けれども、その恐れが妨げとなって、心にとめておかなければならない大切なことをおろそかにしてはいけないのです。いたずらに恐れて、正面から向き合うことを避けて逃げ回っているだけでは死に打ち勝つ心の準備は出来ません。正しく向き合えば、余るほどの勝利をすることが出来るのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3章16節)
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
(6章40節)
神は私たちに永遠の命を約束してくださいました。その約束を持っている私たちだからこそ、いつでも主にお会いする心の準備が大切です。年をとってその時になったら、只漠然と余生を過ごすというのでは空し過ぎます。主にお会いする時が近づいていることを思い、心を躍らせて毎日を有意義に過ごすことができたらどんなにか楽しいことでしょうか。何が不足していようとも、感謝にあふれた、心のわくわくするような日々となることでしょう。全ての人は生まれた時から、永遠への旅立ちの備えを始めているのです。ですから、年を重ねる分だけ、準備が整っていかなければなりません。
ある時、私の親友が自分の見た夢の話をしてくれました。
彼は夢の中で重い病気になり医者からあと数時間の命だと宣告されました。病室には大きな時計があって、自分がいつ死ぬのか分かりました。最初は恐れたり当惑したりして、心を乱していましたが、そのうちに自分の人生を振り返り、イエス・キリストにお会いする時、喜んでいただくことが出来るよう牧師になり宣教師になって日本に来たことを思い、いよいよその目的の時が来たことに気付きました。すると、「あと数時間しか命がない」と思っていた覚悟が「あと数時間で主にお会いできる」という期待に変わりました。主にお会いしたら何と言おうか。主は私をどのように迎えてくださるだろうか。期待はますます大きく膨らんできました。そして、あと何分、あと何秒、と数えていた時、目が覚めてしまいました。彼はその夢の中で主に会えなかったことをとても残念がっていました。
彼は死を迎えるという避けられない現実を、イエス・キリストにお会い出来るという期待によって、すばらしい喜びの時に変えてしまったのです。
多くの人は死を恐れて慌てふためいて何とか逃れたいと思っています。けれどもその現実から逃げおおせた人はいまだにひとりもありません。けれども、いたずらに死を恐れる必要はありません。神は私たちを永遠に生かしたいのです。ただ、今のままでは永遠には生きられません。罪の性質を持ったままの不完全な状態が永遠に続くのではあまりにも惨めだからです。神とともに永遠に生きるなら、それにふさわしい者に変えられる必要があるのです。それが罪からの救いと永遠の命の約束です。栄光と恵みと喜びと平安とにあふれた神とともに永遠の時を過ごすのにふさわしい者となるためです。
ですから、イエス・キリストを信じてこの約束を確信している者には死はもはや何の力もありません。私の友人が夢の中で経験したように、待ち遠しい栄光の瞬間なのです。死ぬべき私たちが永遠の命の約束を身につけた時、死の力は無力になって、私たちは死に勝利するのです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(コリント第一 15章54、55節)
神はあなたにも永遠の命を与えておられます。あなたはすでにそれをしっかりと受け止めておられるでしょうか。もしそうでしたら、永遠の命への旅立ちの備えができているのです。死はあなたの前では無力になっています。安心して喜びと感謝に満ちた日々をお過ごしください。
もし確信がなければ、今、イエス・キリストを信じて、すべての妨げと罪とを取り除いていただきましょう。主はあなたを神の前に立てるようにしてくださり、永遠の命を持たせて下さいます。
私の心からの願いは、今この手紙を読んでくださっている方が、一人残らず永遠の命を受け取って死に勝利し、ご一緒に神の前に立つことが出来ることです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛