祈りの家族への手紙:2005-12


 親愛なる祈りの家族のみなさん。

2005年12月20日

 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2章14節)

 これは今から2000年前にイエス・キリストの誕生を知らせたみ使いたちと天の軍勢の讃美の歌です。しかし、今、地の上に平和はあるでしょうか。

 今ほど世界中の人々が平和を願っている時代はありません。それにもかかわらず戦争の絶えることがなく、愛する者を失った人々の悲しみの叫び声を聞かない日がありません。本来平和であるべき家庭にさえいがみ合いと争いがあり、その狭間で子どもたちが深く傷ついています。誰もが平和を求めているのに、平和が得られないのはなぜでしょう。

 最近NHKが終戦60年を記念して、太平洋戦争にまつわる数々の記録番組を放映しました。戦争というものがどんなに悲惨で破壊的で非人道的なむごいものかを忘れないよう、後の時代の人々に語りかけるためのようです。その中のある番組では、国全体が戦争に傾いていたにもかかわらず、何とか戦争を食い止めようと、身を賭して努力した人々の記録も放映されました。残念ながら、彼らの努力は報われませんでしたが、そういう人々もいたのです。多くの人々に犠牲を払わせ、苦しめた愚かな戦争に、国を挙げて突入して行ったという印象を強く受けている私にとって、少しばかりの慰めでした。人は誰でも本当は平和を願っているのです。

 国と国、人と人は自分の利益を求めることによって対立します。主義や思想の違いによって憎しみが生まれ、テロリストが育ちます。その結果、世界中を大きな不安に陥れます。家庭でも職場でも、学校でさえも同じことが起こり、人々は不安におびえています。

 それは、私たちが自分を中心において、自分の利益だけを考えて物事を行なおうとするからです。自分の権利だけを主張し、自分だけが生き延びることを考え、そうすることが必要で、許されることであると思い、ついにはそれが一番大切なことになってしまうからです。そうすれば、当然、他にもそうする人が起こり、利害や意見が対立すれば、争い、いがみあうことが避けられなくなります。こうして自分自身もその中に巻き込まれてしまうことになるのです。

 人が本来中心に置くべき神を押しのけて、その地位に自分を置くことによって罪は始まりました。そこから人類の混乱と問題が生じてきたのです。

 自分が宇宙の中心ではありません。創造主である神が宇宙の中心です。家庭であっても同じです。神を家庭の中心に置けば、その家庭に争いはなく、互いに尊敬し合い助け合う平和な家庭となります。一人一人の人生にも神をその中心に置けば惑いや恐れや不安はなくなるのです。

 ところが、私たちの心の中には神をその地位から押しのけようとする罪の力が働いています。神はその罪の力を滅ぼすためにイエス・キリストを世に遣わされました。

 クリスマスを迎え、新しい年に進もうとしているこの時期にあたり、イエス・キリストを私たちの心の中心に置き、神をないがしろにさせ、忘れさせようとする世の力を押し返して、神がいつも人生の中心にいてくださるようにしようではありませんか。そうすれば、平和の君が私たちを支配して、私たちの心から不安や恐れを取り除いてくださいます。神からの平和と平安は御心にかなう人々にあるからです。

 私はクリスマスに聖地を訪れた時のことを今でも忘れません。

 エルサレムからバスで30分ほどのところだったでしょうか、何度もイスラエル軍の検閲を受けました。パレスチナ解放軍の襲撃がしばしば起こる物騒な時でした。ついにベツレヘムと呼ばれている小さな町に着きました。現地の案内人に連れられて暗い狭い道をしばらく歩いて行くと広々とした荒野に出ました。あたりは真っ暗で、空には満天の星が輝いている静かな夜でした。小さな丘の片隅が半分掘られて洞窟のようになっていました。雨風を防ぐために羊飼いたちが使っていたのだそうです。私たちもそこに座って、ろうそくの光を頼りに聖書を読みました。ルカによる福音書でした。

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(2章8-11節)

 2000年ほど前にイエス・キリストはこのようにして私たちのために世に来てくださったのです。それはちょうど私たちが経験した時のように、満天の星の輝く静かな夜だったことでしょう。

 あのクリスマスの夜、ひときわ大きく輝く星も、天使たちの歌声も私たちは聞きませんでしたが、イエス・キリストが心の中に来てくださっていることを強く感じました。20人ほどいたでしょうか、誰ひとり話をしませんでした。今読んだ聖書の言葉からイエス・キリストのことを思い、静かに星空を仰いでいました。

 ベツレヘムに行かなくても、イエス・キリストは今もあなたの心に来てくださっています。世の中がどんなに不安と喧騒に満ちていても、あなたの周りにどんな不安が押し寄せているように見えても恐れることはありません。

 忙しさのため大切な事を忘れやすい時期です。どうかあなたも静かなひと時を持ち、聖書を開いて読み、イエス・キリストを心の中心にお迎えしていることを確認してください。あなたの心はきっと平安に満たされます。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛