主の兄弟ヤコブからの手紙
No. 200602
みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、
ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブ1章22節)
ヤコブの手紙はイエスの兄弟ヤコブが、遠い国々に散らされて行ったユダヤ人クリスチャンたちに書き送ったものです。
ヤコブは自分がイエス・キリストの兄弟であることを少しも自慢したり強調したりしていません。そればかりか、この手紙の中ではそのことについて全く触れていません。「神を信じ、救い主を心に受け入れて神の家族になることは、血筋による家族関係とは全く別の霊的な関係を結ぶことであること」をヤコブは疑いなく示しているように感じられます。イエス・キリストを信じることはひとりひとりが個人的に神との関係を持つことです。そして、さらに大切なことは、そのことによって、その人の生き方や行ないが大きく変わることです。
ヤコブは「クリスチャンが実践すべき基本的なこと」を誰にでも実行できるよう具体的に教えています。教理的な教えよりはむしろ、クリスチャンとして何をどのように行なうべきかという実践的なことを強調しています。
これは兄弟としてイエスとともに育ち、近くにいてイエスの教えをいつも聞いていたヤコブにとって、最も適切な役割だったと言えます。
中心テーマは信仰を行ないによって示すこと
信仰は目には見えません。ですから誰にも分からないものと思われがちです。けれども、聖書が教えている信仰は行ないがともなうものです。
行ないのない信仰は、死んでいるのです。(2章26節)
信仰に行ないがともなえば、その信仰は本物で生きていることが分かります。行ないによってあなたの信仰が生きていることを示してください。
忍耐を喜んで学ぶことができる
誰でも我慢はしたくないものです。けれども、信仰は喜んで忍耐することを学ばせてくれます。忍耐が出来ないとわがままになり、人格が曲がり傷つきやすくなります。忍耐は大切です。人を成長させ、人格を高め、完成した人にしてくれます。喜んで気持ち良く忍耐を学ぶことができれば大きな益になります。
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(1章2-4節)
実践できる信仰の行ない
上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブ3章17、18節)
誘惑から守られ、怒りをおさえることが出来る
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(1章14、21節)
だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。(1章19、20節)
人を見下したり差別したりせず、いたわりの心を持てる
父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。(1章27節) 私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。(2章1節)
能力や持ち物によって自分を誇る必要がなくなる
神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。(2章5節)
言葉使いがおだやかになり、自分を制御することが出来る
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(3章2節)
何事につけても神に頼り、心配をしなくなる
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。(5章13-15節)
次回から、これらの信仰の行ないをどのようにして身につけ、実践するかを何回かに分けてご一緒に学んでまいります。