祝福のメッセージ:2006ー04

信仰の行ない-2

No. 200604  

忍耐

 どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。(テサロニケ第二 3章5節)


忍耐することには喜びと希望がともなう

 誰でも「自分には忍耐が足りない」と思うことがあります。忍耐しなかったばかりに相手を傷つけたり、自分自身もつらい思いをしたりします。忍耐はそんなに難しいことなのでしょうか。

 忍耐することは我慢することと違います。ただ我慢するだけでは希望が見えず、喜びも持てません。喜びがともなわないと長続きしません。クリスチャンの忍耐は神からの賜物です。神が与えてくださる訓練にはどんな訓練にも喜びがともないます。ですから、信仰の行ないとしての忍耐を実践するとき、その中に喜びと希望を見出ことができます。希望があれば、忍耐が楽しなります。

 聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ15章4節)

忍耐することによって愛と理解が深まる

 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。(ローマ15章5節)

 自分の立場だけを考えて、急いで事を起こそうとすると、理解しあう前に互いにぶつかり合って対立が生じ、人間関係がこじれてしまいます。世代間の考え方の違いは簡単には越えられないものがあります。若者と年配者、特に親子間の感覚の違いは、どんなに愛し合っていてもしばしば不幸な対立を生み出します。聖書の教えに従った忍耐はその危険を和らげ、お互いを近づけてくれます。

 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ6章4節)

忍耐することによって視野が広がる

 どんなに自分が正しいと思ったときも、相手の言い分をよく聞く習慣を持つことが大切です。「若い者はなっていない」「年寄りには分かりっこない」と言い合うのは簡単ですがそれでは何も良いことは起こりません。自分の考え方に自信のある人は要注意です。忍耐することによってたとえ親子でも、相手を尊重することを学び、自分とは違う考え方を知る機会が与えられるのです。忍耐は友好関係を広げるだけではなく、あなた自身の心を広げることになるのです。

 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(ローマ12章10節)

 

忍耐することによって人格を成長させる

 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ5章4節)

 忍耐することは自分を吟味することです。神にも人にも、自分がどのように評価されるかを見つめることができるのは忍耐を働かせている時です。自分への評価は自分が行なうのではなく、自分以外の人がするものです。ですから、忍耐は人を健全に成長させ、評価に耐える人格をつくりあげ、練られた品性の人柄をもたらすのです。

 信仰の実践としての忍耐は更にすばらしい結果をもたらします。「神がそれを願っておられ、聖書がそう教えているから」という動機から始まるからです。イエス・キリストの忍耐に習って行なうのですから、キリストの霊が内側から働いてその人の人格を更に輝かせてくれます。ですから、豊かな人格の実を結ぶためにも、聖霊に導かれた忍耐を働かせてください。あなたの人格はあなただけのものではなく、この世に対してキリストを代弁するものだからです。

 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヘブル1章2-4節)


忍耐はキリストが手本である

忍耐は賜物として神から受け取ることのできるものです。聖書はそれを熱心に求めなさいと教えています。当面は喜ばしいものではない訓練を乗り越えて、豊かな実を結ばせるのは忍耐です。

 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12章11節)

 信仰の実践としての忍耐は、ただ耐えるだけではありません。好ましくない状況が過ぎ去り、有利な状態になるのをじっと待っているだけでもありません。その先を待ち望むのです。「この病気が癒されたら何をしよう。」「今の経済的な困窮が解消したら次に何をしよう。」と、目的を持って忍耐するのです。ですから、困難の中にも喜びがあり、感謝があふれてきます。希望が見えています。私たちはそれをキリストの十字架に学ぶことができます。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。 イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12章2節)