親愛なる祈りの家族の皆様。
2006年もすでに半ばまで来ました。後半の日々も感謝と喜びを忘れないで有意義に過ごしたいと思っています。あなたはいかがお過ごしでしょうか。
イエスは「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」と言われました。(ヨハネ14章)
イエス・キリストは今も生きておられます。私たちを罪による滅びから救うために十字架の上で死んでくださいましたが、死を打ち破って今も生きておられるのです。イエスは私たちの罪の代価として死ぬためにこの世に来られましたが、死ぬだけのためではありません。むしろ、私たちが生きるためであり、ご自分のいのちによって私たちを生かすためです。イエスは確かに今も生きておられます。そして、私たちに生きることを教えておられるのです。イエスはあなたにも「しっかりと生きなさい。」と言っておられます。ですから、一生懸命に生きようではありませんか。
ただ漠然と命をつなぐだけではなく、そこに喜びがあり、希望があり、感謝があり、あなたが毎日を生きることに感動がともなうような生き方をなさるようにと私はいつも願っています。
今朝、二階の窓越しに雨にぬれる屋根を見ると、枯葉のたまった雨どいに欅の苗が10センチほどに育っているのを見て驚きました。忙しかったため、しばらく雨どいの掃除をしていなかったのです。何というしたたかさでしょう。命のあるものはすべて真剣に生きています。特に、この時期はいたるところに草が生え始めます。雑草は、抜いても抜いても後から後から生えてきます。その生命力の強さには感心します。しかも、ただ生き続けているだけではありません。それぞれの種類に従って決められている通りに成長し、一目でそれと分かる葉を茂らせ、予想通りの花を咲かせます。決して妥協をしないのです。何度も何度も抜かれるから「花を咲かせるのはやめよう」とか、「葉も適当な形にしておこう」とか、「どうせ抜かれるのだから芽を出すのはよそう」とは言いません。また、無理をして「今度は違う花を咲かせよう」ともしません。それぞれに与えられた役割を忠実に果たしつつ生きています。すべての被造物は与えられた立場や環境の中で精一杯忠実に生きているのです。
神は私たちに、他の被造物とは違う特別に優れた命を与えてくださいました。生きるだけではなく、一人一人が神とのかかわりを持つことのできる命を与えられたのです。ですから、私たちが生きるとき、どのような生き方をするかが問われるのです。そうは言っても、神は無理な課題を私たちに押し付けておられるのではありません。むしろ、私たちに特別な愛を注ぎ、私たちが、与えられている命に喜びを覚え、生れて来てよかったと思えるような生き方が出来ることを願っておられるのです。
高等な生物である私たちにふさわしい生き方は、神と正しい関係を持って生きることです。それが私たちの喜びとなり、感謝となることを神は知っておられ、そのようないのちが永遠に私たちに続くことを、願っておられるのです。
イエスの弟子たちが使命をおびて全世界に出て行き、救いの福音があらゆる人々に届けられました。彼らが与えられた役割を忠実に果たすことによって、救いが世界中の人々に及んだのです。彼らは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」という単純な福音宣教の基礎を確立しましたが、それによって自分たちの救いをもますます確かなものにしていったのです。
主はあなたにも果たすべき役割を与えておられます。忠実であれば家族や周りの人々に必ず良い影響が及びます。あなた自身も神の前に整えられ、ますます神の国にふさわしい者にされていくのです。
私たちにはいろいろな能力があり、やろうという気持ちがあればどんなことにでも挑戦できます。しかし、全ての人に大きなことが求められているわけではありません。たくさんのことが出来る人もありますが、1つのことだけをするのが精一杯という人もいます。それぞれに違った量のタラントが預けられているとしても、求められているのは忠実であることだけです。
「失敗ばかりで良いことは何ひとつ出来ない」とあなたは思いますか。それはあなただけではありません。私もそう思ったことがありました。けれども、失敗や悪い点ばかりを数える必要はありません。もし神が、あなたの失敗を数えたりとがめたりするとしたら、イエス・キリストが身代わりに罪を引き受けてくださった意味がありません。神はあなたの弱点を直すことを助けてくださいますが、それを数えたりとがめたりはなさいません。あなたに出来る良いことだけを見てくださいます。
むしろ、神はあなたにしかできない大切な役割を与えておられます。ですから今も生かされているのです。ご自分の人生にはどのような役割があると感じますか。これからの生き方にどのようにその役割を果たすことができると思われますか。どんな小さなことでも、それが神からあなたに与えられたものです。それをどのように果たすことが出来るかを祈りつつ神にたずね、神との交わりを深めることによって、あなたはご自分がどんなに幸せ者であるかにお気づきになることでしょう。
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2章10節)
神は私たちに大きな成果や厳しい修養努力ではなく、忠実であることを求めておられるのです。
エデンの園ではどの木からでも実を採って自由に食べてよかったのです。けれども一つだけ守らなければならないことがありました。1つの木の実だけは食べてはいけなかったのです。決して難しいことではありません。他にいくらでも良いものがあったからです。大切なことは神の願いに従うことです。御心を求めつつ生きることが私たちの役割の基本だからです。それが神との親しい関係を保って生きることを可能にするのです。
ある人は「それは人の自由行動を制限するもので、人類の進歩に逆行する。」と言うかも知れませんが、決してそうではありません。人は不確かな自分の欲望に従って生きるか、それとも、確かな神の御心に従って生きるかどちらかを自分の自由意志で選ぶのです。神の御心に従っていても、いくらでも自由な行動ができます。むしろその方が本当の自由なのです。
不完全で自己中心的な自分の意思でやりたいほうだいをどこまでも追求することは決して自由ではありません。それは自分を自分の欲望の奴隷にすることで、そこから逃れることが出来ません。
キリストは私たちに本当の自由を与えてくださいました。ですからその自由を活用して、すばらしい生き方をしようではありませんか。
あなたは本当に愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛