祝福のメッセージ:2006ー07

信仰の行ない-5

No. 200607               

赦すこと

 中東では今も武力による報復の応酬が際限なく繰り返されています。報復は報復を呼び、終わることがなく、どちらの側にも敗北をもたらす戦いです。その結果の惨めなことは個人の場合でも同じです。人の悪に対して恨みを抱いて、悪に対して悪で報いることは、決して平安をもたらさず、惨めな敗北があるのみです。

 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」(ローマ12章19節)

 イエスは私たちがそのような愚かな道に陥ることがないよう、私たちに赦すことを教え、赦すことの出来る力も与えてくださいます。

赦すことの出来る力

人の罪を赦すことが出来るのは、クリスチャンが持つ最も高潔な品性です。悪に対しては何倍もそれに報いたいのが人の自然の性質です。それが正義であると勘違いしてはいけません。報復は神がなさることであって、不完全な人間による報復は更に大きな報復を生むだけです。決して正義とは言えません。逆に赦すことの出来る心は、敵と思われている者のかたくなな心をも打ち破る力を持っています。

全ての人は罪を持っているために、罪の行いが外に出て来ます。ですから、神に罪を赦していただかない限り、罪に支配され続けるのです。悪を行なう者も、それを裁く者もともに自分の罪の中でそれを行なっているのです。

 この悪循環の突破口を開くことは自分の罪が赦されることから始まります。神はイエス・キリストによって私たちの罪を赦してくださいました。ですから、私たちも人の罪を赦すことが出来るのです。

 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。(マタイ6章14、15節)

 神が大きな罪を赦してくださったのですから、人の罪をも赦すべきです。心に平安を得るためです。

赦せない原因となる正義感

 人が心に抱く正義感は正しく働く場合もあれば、自分勝手な理由で働く場合もあります。ですから、神に罪を赦していただかない限り正しい判断が出来ないことを知っていなければなりません。

 正義を掲げた行動はしばしば人を傷つけたり、自分が傷ついたりします。正義を行なっていても、傷つけたり傷ついたりするのは避けられないのです。正義を行なうことには犠牲がともないます。犠牲を払わない正義感は自己中心です。しかし、赦すことは、互いに傷つけ合うことや、自己中心的になることを防いでくれます。

 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。(ルカ6章38節)


自分も赦されるために

 自分の罪が赦される近道は人の罪を赦すことです。人の罪を赦すことは簡単ではありません。神の助けが必要です。イエスはその手本を示してくださいました。

 イエスは自分を十字架にかけた人々のために神にこう祈られました。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23章34節)

 イエスは私たちの罪を赦すために、自分から十字架の道を選ばれたのです。ですから、私たちが人の悪を赦すことによって、イエスの赦しの一端を理解してそれを受け入れることが出来るのです。赦さない心は、イエスが私たちのためにこんなに大きな罪さえも赦してくださることが信じられません。人を赦せば、イエスの赦しを確信することが出来るようになります。

無条件にどこまでも

 イエスが罪を犯した兄弟のさとし方を弟子たちに教えておられた時のことです。

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18章21、22節)

 私たちが人を赦すとき、「反省したら」「今回だけは」という条件を付けます。けれどもイエスは赦しを律法として命じておられるのではありません。赦すことは私たちの益になるのです。ですから、私たちが赦すときは、無条件に、無制限に、心から赦し、忘れるべきです。そうすれば心に平安が与えられます。条件付の赦しはイエスが教える本当の赦しではありません。それは赦される人にしか益をもたらしません。イエスが教える本当の赦しは、赦す人自身に大きな益を与えるのです。

 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。(マタイ5章38-39節)

 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5章43-45節)

 人を赦すことが出来るのは、クリスチャンが持つ最も高潔な品性です。