親愛なる祈りの家族の皆様。
少子化と高齢化がますます進み、年配の方たちだけではなく、今はまだ若い人たちも含めて、誰もが老後のことを心配し始めています。「はたして私たちの老後は保証されているのでしょうか」と。
仕事や子育てに没頭して全力を傾けていた時は、そのこと自体が生きがいとなり、生きる目的でもありました。その任務が終わって、もう一度自分自身のことを考えた時、改めて、人生とは何か、生きるとは何かを考えさせられるのではないでしょうか。これから人生に向かって羽ばたいて行く若い時とは違った感じ方でそれを改めて考えるようになるのです。
「仕事も子育ても終わったのだから、これからはただ自分の趣味のために生きることが出来る。」と言う人もいます。そういう人は大変恵まれているのですから大いに余生を楽しんでください。ただし、それにはそれなりの準備と保証がなくてはなりません。
けれども、私が準備や保証と言っているのは、年金や保険や貯蓄のことではありません。それも大切でしょうが、一番大切というわけではありません。どんなに生活が保障されていても、「私の人生はこれからどうなって行くのだろう。」という不安を持ったままでは、安心して楽しい余生を過ごすことはできません。
「私はいつでも主にお会いする準備が出来ている。」と言えることが一番大切なことです。
では、保証とは何でしょう。それは、「イエス・キリストによって永遠のいのちを与えられている。」という確信です。
「私はもう十分に働いて、自分の務めを果たしたのだから、余生を生きることは自分だけのためで、他には何も考えなくてもいい。」と言っていてよいのでしょうか。もしそうだとしたら、人生の目的は仕事と子育てだけということになり、その後の人生には何の意味もないことになってしまいます。しかし、あなたの心は、「いや、そんなはずがない!」と、叫んでいることでしょう。
人にはそれぞれ違った生き方があります。ある人は子育てを経験しないかも知れません。仕事も人によって大きな差があります。楽な仕事をする人もあればつらい仕事をする人もあります。外側から見ると大きな仕事に見えるものも、小さな仕事に見えるものもあります。また、職業というものは持ったことがない人もいるかも知れません。人によってさまざまな違いがあってもいいのです。他の人と同じようになる必要はありません。これが人生で一番大切なことというわけではないからです。一番大切なことは、心のもっと深いところにあるのです。
人には決して見過ごすことの出来ない大きな役割があります。人だけが、全ての被造物の中で唯一、神と交わることの出来る能力を与えられています。ですから、私たちの人生の目的と使命は、人生の全ての期間を通して自分の造り主である神を知り、神との深い交わりを築くことです。それは本気になれば誰にでもできることです。人は誰でも自分の造り主である神と出会うことが出来るように造られているからです。それだけではなく、心の奥底では誰もがそれを願っているのです。
私の子どもたちは小さい頃、「天空の城、ラピュタ」というアニメ映画を好んで見ていました。
その物語では、何百年も前に、空から落ちてきた変な形をしたロボットがありました。人々はあらゆる手段を使ってそのロボットを動かそうとしましたがびくともしませんでした。
ところが、主人公の少女が捕らわれの身になっていて、絶望の中から、昔、おばあさんから教えられた不思議な言葉で「助けて・・」とつぶやきました。するとどうでしょう、大勢の技術者たちがあらゆる方法を試してみてもびくともしなかったそのロボットが突然動き出して、ものすごい力を発揮してその少女を助けに来たのです。
私もそのアニメ映画を子どもたちと一緒に見ていて、大変すぐれた力を持っていて、しかも忠実なそのロボットが大好きになりました。
神は宇宙の全てのものをお造りになったその偉大な力を、あなたのためにも使ってくださいます。主はいつでもその力強い御手を伸べて、あなたを助けてくださるのです。あなたがイエス・キリストを信じて心に持っておられるなら、いつでも助けを求めることが出来ます。
あなたの造り主であり、命がけであなたを罪の中から救ってくださった方は、あなたの人生の初めから終わりまでしっかりと心にとめておられるのです。たとえ、あなたが心の奥の小さな声で助けを求めても、決して聞き逃すことはありません。神は、あなたが本心から神に語りかけるのを待っておられるからです。主の助けを待ち望む者は、絶望に打ちひしがれたままで終わることは決してありません。日々に新しい力に満たされて生きることが出来るのです。
主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(新共同訳聖書イザヤ書40章31節)
私たちの備えと保証は、イエス・キリストを受け入れて、今も、これからも、最後の時も、いつでも主に出会い、どんなことでも主に語りかけることが出来るようになっていることです。そうすれば、もう何も心配はありません。何と大きな平安でしょう。何と大きな保証でしょう。
何をするにしても心に平安があり、どんな生き方をしても喜びと感謝があふれてきます。これからの人生にどんなことがあっても絶望することはありません。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛