祝福のメッセージ:2007ー02

レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より

No. 200702                  

人間の第一のつとめ その2

 聖書は神のことばであると申し上げましたがその聖書によれば、神は交わりの対象として人を造り夕暮れに地上に下り交わりの時を持たれました。美しい園をアダムとエバと散歩しながら語り合われたのです。夜になると神は二人に安らかな眠りをお与えになりました。すばらしいですね。しかしある日、人間は神の掟を破り園から追放されて、その交わりを失いました。そこから、旧約聖書全編にわたる戦いが始まったのです。

 神は人間をご自分のもとに連れ戻そうとなさいました。そこで、神はご自分がどんな方かを人類に示すことになさいました。

 神は霊的な存在です。サタンも霊的存在です。そこで両者の戦いがあります。人間に神の性格を表させるかサタンの性格を表させるかの戦いです。神は人を通してご自分を示したかったのです。そして、人を愛するあまり、ご自分のひとり子さえくださいました。

 神の子イエスは栄光の位を捨ててこの世に下りマリヤの子となられました。しかし、彼のうちには父なる神の血が流れており、肉体的な父はありません。

 彼は神がどんなお方なのかを私たちに示すために、盲人の目を開け、聞こえぬ耳を癒し、罪を犯した者を赦し再び罪を犯してはならないとお諭しになり、人類に愛をお示しになりました。それが神のご性格なのです。

 そして、ついに十字架にかかって死なれましたが、ご自分の罪のためではない、あなたの罪私の罪をご自分の身に負われたのです。私たちは神の救いのご計画を受け入れるならば神の前に出て「主よ私の罪をすべて赦し私の心をきよめてください」と言えるのです。すると私たちの罪は赦され、きよめられて、私たちは神の家族の中に生まれ、神と和解することが出来るのです。そして、アダムとエバのようにこう歌うことが出来ます。「主はわれと歩み、われと語りたもう」私たちはこの古い賛美歌をしばしば歌いますね。ちょうどこの歌のように、神は私とともに歩み、私と語り合われます。私は罪の赦しをいただき心に確信があります。神を知ることが出来るんです。

 ある人が最近私のところに来てこう打ち明けてくれました。「子どもの頃、家族みんなで行ってた教会で特別な伝道集会が開かれたことがあったんですがね。その時みんなについて前に出て行きました。信仰の決心なんてよく分からないままその後洗礼も受けました。だけど今もって自分が救われているという確信がなくて不安なんです。教会に行っても不安と疑いに悩まされるんです。もしかしたら救われていないんでは、とね。」それで私は聖書を調べましたが洗礼を二度受けちゃいけないとは書いてありませんからね。この方にもう一度洗礼を授けました。それ以来、彼は確信を持ちました。今度こそ疑いの影もなく分かったからです。自分は死から命に移されて新しくされた、と。彼の不安は消えました。皆さんの中でもどれほど多くの方が新しく生まれたという確信がないまま不安な気持ちでいることでしょう。子どもの頃から教会へ行き聖書の教えも良く知っているかも知れません。しかし、夜ひとり床に付く時や何か不慮の事故か病気で死ぬかも知れないとふと思う時、あなたの心の中で何かがおののきながらこう叫びだすのです。「だめだ。まだ用意ができていない。」そんな方に申し上げます。あなたは神の家族だという確信を持つことができます。神の子だと確信できるようになります。

 それには、神のお立てになった救いの計画、イエス・キリストを信仰によって受け入れればよいのです。あなたがそうするとき、神の御霊はあなたの内に入り証しをしてくださいます。あなたは救われていると。今日あなたにも神を知っているという確信を持っていただきたいのです。教会員であってもそうでなくても、あなたがどなたでも、その確信を持ってほしいのです。それが、あなたの人としての第一の務めですから。人間たる者の第一の務め、それは神を知ることです。

 頭をたれ目を閉じてください。お祈りします。

 全員頭をたれ、目を閉じている間にここで何人の方が心からこう言えますか。「ハンバード牧師、私の心臓がたった今止まって私がこの場に倒れて息絶えたとしても疑いも恐れも罪の習慣もありません。私には確信があります。主に会う備えは出来ています」と。こう言える方、頭をたれている間に手を上げてお示しください。その方のために特別な祈りを捧げます。

 今、手を上げることの出来なかった方々が大勢います。その多くは善良で教会に行っていらっしゃるかもしれません。また、中には何か過ちを犯して挫折した方もいるでしょう。神はご存知です。

 たくさんの方々が確信を持って手を上げて「たとえ今死んで神の前に立っても用意は出来ている」と信仰を表明なさいましたが、あなたはそれが出来なかった。しかし、「祈りの力を信じるので、この特別な祈りの中に加えてほしい」そう願われる方、どなたでも、さっきは手を上げられなかったが上げられるようになりたいので、祈ってくださいとおっしゃる方、右手を上げてお示しください。さあ、どなたでも手を上げましょう。祈ってほしい方、手を上げてください。どうぞ高く。それが必要を告白することです。

 たくさんの手が上がりました。ではその方々は心の中で声には出さないで私と一緒にお祈りください。どなたでも必要を満たされたければ、まずそれを言い表すことです。第二に求めることです。そうしたら与えられます。

 「私のために死なれた愛する主イエスよ。どうか私の罪をすべて赦し、私の心を不義からきよめてください。私はイエス・キリストを受け入れます。彼こそ私の救い主、天国に至る唯一の希望です。主よ、私に聖霊をつかわし、救われたという確信をお与えください。私はあなたのために生きお仕えします。死が訪れる時、御許に行かせてください。イエスのみ名によって、アーメン。」

 今お祈りなさった皆さん。聖書にこう書かれています。「私たちが自分の罪を告白するならば、真実な神はその罪を赦し、私たちの心をすべての不義からきよめてくださいます。神の書のあなたのページに今まで何が書いてあっても問題ではありません。するなと言われたのにしてしまったこと。しなさいと言われてもしなかったこと。その全てをあなたは主に打ち明けて全部赦していただいたのです。ですからあなたのページはもう真っ白です。あなたは神の子イエス・キリストを通して神を知ったのです。あなたは神の子どもです。