レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より
No. 200703
今日魂が取り去られるとしたら・・
もし私が皆さんに歩み寄り、「どんな財産をお持ちですか。」と尋ねたらどうお答えになりますか。
ある方は、「マイホームがある。」また、ある方は、「新車を持っている。」と言うでしょう。またある方は、「私の車はおんぼろだし、家は借家だ。財産は何もない。」とおっしゃるかもしれません。またある方は、「株券や貯金を持っている。」と言うでしょう。
しかし申し上げておきますが、こういう物は本当にあなたの物とは言えません。
なぜなら、あなたが自分の物だと考えている物は、心臓が鼓動をやめたら、他人の手に渡ります。しばらく借りていたにすぎません。財産を誇るんですか。あなたの物はたった一つしかありませんよ。それはあなたの魂です。
いつか心臓が鼓動をやめ、あなたが神の前に立つ時、あなたの唯一の持ち物は魂です。それだけが本当にあなたの物です。他の物はみんな一時的で、時と共に消え去ります。しばらくの間借りただけです。
私にも悲しい思い出があります。よく一緒に猟に出かけた友達がいましてね。私が30年来牧師をしていた明日への教会に長年来ていた人です。折に触れては友情を暖めたものですが、ある日電話が来ました。彼が死んだのです。
葬儀が終って、3日ほどたったある日、奥さんから、「来てください。」と言われてジョーンズ副牧師と二人で出かけました。すると奥さんが言いました。「亡くなった主人の物をみんな持って行ってくださいませんか。着る物も猟銃も主人の物は皆さしあげますから。見るのが辛いんです。あの人の想い出がよみがえって、かえって辛くなるばかりですから、全部どなたかに差し上げるつもりです。」私たちはシャツをもらいましたが、まだ袋から出してない新品です。スーツも袖を通したことのない物です。靴もありました。彼は財産家でした。しかし、人の命ははかないですね。今彼にあるのは魂だけです。
イエスのなさった有名な話がルカの福音書12章にあります。そこに語られているのは、愚かな金持ちです。なぜこの人は愚かと言われるのでしょう。それは彼が、神にではなく、財産に頼っていたからです。
新約聖書のルカの福音書12章を見ますと、ある年のこと、この金持ちの畑が豊作でした。
雨の量も適当だったし、種まき時もちょうど良かったし、実りの頃に日も良く照ったし。そこで彼は豊作の畑を眺めてこう言ったのです。
「この収穫物をどうしよう。倉庫に入りきれない。」
ビジネスがうまかったんですね。立派だと思いますよ、頭を使って仕事をこなすということは。しかし、人間は理性だけじゃないし肉体だけでもない。人間には魂があるのです。この3つの分野においてバランスが取れていなくてはなりません。その点でよく失敗するのです。
この人は考えました。「じゃ、この小さい倉を壊して大きいのを建てよう。」
倉を建てるのが悪いんじゃありませんよ。神が彼を愚か者と言われた理由は、次の言葉にあるのです。「そして、私の魂に言おう。食い飲み楽しむが良い。お前には長年分の食料が蓄えてあるんだから。」・・・これで魂が養えますか。
株や証券やマイホームや土地、あるいは穀物や野菜などの物質的なものでは、あなたの魂は養えないのです。
神は言われました。「愚か者よ。今宵、あなたの魂は取り去られるであろう。そしたら、これらのものは誰の物になるのか。」
あなたにも同じ質問をします。もし、この瞬間に心臓が鼓動をやめ、あなたが永遠の世に行くとしたら、主をご存知ですか。神と和解していますか。あなたのために死んでくださったイエスに罪の赦しをお求めになりましたか。
答えが「ノー」なら、いつか主の前に出る時、あなたは、愚かなのはあの金持ちだけではなかった、私も愚かだった、と悟ります。しかし、それでは遅すぎます。「外の暗闇に出て行け。そこで泣いたりわめいたり歯ぎしりをするが良い。」と言われてしまいます。
この人は悪人ではなかった。善良な市民でした。銀行預金もあったし、町に図書館や学校や病院を建てるのにも貢献したでしょうし、いいことをたくさんしたでしょう。しかしみんな一時的なことです。彼は神と和解をせず、キリストを人生で第一にはしませんでした。
あなたには、裁きの日に「私は愚かだった。」と後悔してほしくはありません。ですから、今あなたのためにお祈りしたいのです。『イエスを心に迎えるために祈りたい』という気持ちを持った経験がないかも知れません。あなたは立派なビジネスマンかも知れません。あるいは失業中で明日の食べ物のあてさえないかもしれません。しかし、どちらでも死ぬ時に持っているものは同じように魂だけです。それを大事にしてください。祈りましょう。
「愛する主イエスよ。私の全ての罪を赦し、私の心を汚れから清めてください。主よ、私の心に入りあなたの御霊によって救いの確信をお与えください。いつか死が私を訪れる時、天に導いてください。アーメン。」
今あなたは本気でお祈りなさいましたか。聖書にあるように私たちが罪を告白すれば神は全てを赦し、私たちを清めてくださいます。
神は私たちの人生を記録しておられます。しかし、あなたが「主よ、私の罪をお赦しください。」と祈った時、神はそれを消し去り忘れてくださいました。バックミラーばかりを見てはいけません。今日からは過去を忘れて前に向かって進むのです。この世であなたに会えなくても、いつか天でお会いできますね。主のお傍で一緒に暮らしましょう。今日あなたは主を信じて魂を大切にしたからです。おめでとう。今日からあなたも神の家族です。