レックス・ハンバードテレビ番組「明日への希望」より
No. 200708
霊的祝福
今日は神が与えてくださる霊的な祝福についてお話します。
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(ヨハネの第三の手紙2節)
私に与えられた使命は聖書の真理をあなたに伝えるだけでなく、あなたの人生の問題が何であってもそのためにあなたと心を合わせて祈ることです。聖書ははっきりと言っています。「あなたがたの必要を互いに言い表し祈りなさい」と。
私たちが自分の必要を言い表して祈り、神のご命令に従えば必ず答えられます。
与えられないのは求めないからです。私がこうしてテレビであなたにお話しているのも、神に従うためです。神は28年前、あなたや世界中の人々にこの番組を届ける使命をくださいました。
第二に私に与えられた使命は、あなたの必要が満たされるよう祈ることです。
1939年私はアーカンソー州ホット・スプリングスにいましたが、テキサス州ダラスに来てほしいと言われ、ラジオ伝道拡張の良い機会と考えて出かけました。
私はすでにホット・スプリングスでラジオ伝道を始めていましたからね。ダラスのべテル・テンプルという教会で2人の素晴らしい人たちに会いました。アルバート・オットー牧師夫妻です。夫人は皆に「お母さん」と慕われていましてね。その教会で私は初めてモデーミに会ったんです。モデーミの兄チャールズにもね。チャールズの妻アイレーテスはオットー牧師夫妻の娘でしてね、素晴らしい人たちでした。良き友であり長い間親しいお付合いをしてきました。オットー牧師は既に天に召されていましたが、ほんの数週間前のこと、今度はオットー夫人が主の御許に行きました。私はダラスへ飛ぶと、やさしかったオットーのお母さんを偲んで葬儀を行ないました。葬儀が無事終りまして、チャールズとアイレーテスと私はオットーお母さんが書き残したメモなどに目を通していました。几帳面な人でして、聞いたことを忘れないようにすぐにメモする、それが習慣でしたから。その中の大切な物をしまっておいたんでしょう、箱の中はメモ用紙や生前書き残したものがいっぱい詰まっていました。どこかで読んだのか、ラジオで聞いたのか、人から聞いたのか、あるいはテレビで見たものを忘れないように書き留めておいたものです。私が最初に手に取った紙切れにはこう書いてありました。
「あなたが、自分自身の持っている物は本当は全て神のものだということを悟った時、神の持っていらっしゃるものはことごとくあなたのものになる。」
考えてみてください。あなた自身もあなたの持っている物も全ては神のものであるとひとたび悟る時、神の所有していらっしゃる物は何であれことごとくあなたのものです。聖書にこうあります。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
私たちの持っているもので神のものだと言わなくてはならないものは何でしょう。先ず第一にこの命そのものが神のものです。神は命を与える方であり、その命を支えてくださる方です。命を与えるのは神だけです。人間だけでなく一粒の種にも命があります。
私たちの命は神のもの。私たちの魂も神のものです。それはキリストがカルバリーの十字架の上で血によって買い取ってくださったからです。私たちのこの体は神の尊い聖霊がお住みになる宮です。聖書にそう書いてあります。神の御霊は私たちの体を宮としてお住みになり神に栄光を帰します。私たちの財産もこの世の所有物も神のものです。
「私は車を持っている。家もあるし株も持っている。金もある。」とおっしゃるんですか。本当ですか。借り物じゃありませんか。あなたの心臓が鼓動をやめたら、自分のものだと思っていたものはことごとく他人のものになります。私たち自身はもちろんのこと、私たちの持っている物もことごとく神のものだということを悟るならば、その時神のものはことごとく私たちのものです。私たちがまず神の国と神の義を求めるならばほかの物はことごとく添えて与えられるからです。そう悟ったとき、ピリピ4章19節の約束は私たちのものです。「私の神はあなた方の必要をことごとく満たしてくださいます。」
イエスが世におられた頃、税金取りの役人がいて、世間から軽蔑の目で見られていました。情け容赦なく税金を取り立てるし、賄賂を取ったり、自分の職権を乱用してあくどいことをしていたからです。ある日イエスがその町においでになると、ザアカイという名のこの人はイエスのうわさを聞き、一目見ようと思いましたが、聖書によると彼は背が低く群集にさえぎられて見えません。そこで、イエスが近づいて来られた時、道の傍らにあった木によじ登りました。イエスはその木の下で立ち止まり上を見て言われました。「ザアカイ、木から降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まるから。」こうして、イエスとザアカイが連れ立って行くのを見て律法学者とパリサイ人は主を非難しました。「なぜ彼はあんな汚らわしい罪人の客となるのか。」しかし、イエスは失われたものを捜しに来られたのです。ザアカイはイエスを自分の家に迎え、イエスと共に過ごすうちにはっきりと悟りました。「私自身も私の持ち物も全て神のものではないか。」彼はすぐこう言いました。「主よ私が同胞からだまし取ったものはみな倍にして償います。さらに私の持っている財産の半分は貧しい人に施します。」彼が自分の持っている物ばかりでなく自分自身も神のものと知った時、神は天の窓を開いて彼を祝福なさいました。私たちが神を第一にするなら神の持っていらっしゃるものは全て私たちのものになります。
イエスは言われました。「今日救いがこの家に訪れた。」
皆さんはこれまでの人生においてご自分をことごとくイエス・キリストに捧げたことがありますか。教会のメンバーかどうかじゃありません。「神の子ですか」そう尋ねると「ええ、教会に所属しています」と答える人がいますが、教会の塔だってそうですよ。教会に行くことは良いことですが、それだけでは神のものが全てあなたのものであるとは言えません。あなたははっきりこう悟っていらっしゃいますか。私の体、命、魂、財産、時間、能力、私の全ては神から預かった神のものだと。それでは先ず始めに神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば聖書にあるようにほかのものは添えて与えられます。あなたにその経験をしていただきたいのです。主をあなたの人生で第一としていただきたいのです。
「主よ、私の人生はあなたのものです。あなたは私の魂を買い取った方です。この体はあなたの御霊がお住みになる宮です。私の仕事、財産、家庭、私の全ては主よあなたのものです。私はあなたに私の人生の全てを捧げ、イエス・キリストを心にお迎えいたします。この方を私の救い主とします。」そうおっしゃるなら主はあなたの人生に臨み、そのときから全能の神の聖なる御霊がこの宮に住んでくださるのです。私たちの体は聖霊の宮ですからね。あなたは罪を赦され、喜びに溢れます。そしてこの世においても死ぬ時も、永遠の世でも希望があります。それはあなたがご自分の身も心も自分の持っている物も神にお捧げするからです。すると天のふるさとはもちろん、神のものはことごとくあなたに与えられます。