祝福のメッセージ
これはレックス・ハンバードの著書「魂を求めて1世紀」からの引用です。
No. 200710
13回目の訪問
アクロン定住を決断して間もなく、私たちはオハイオ映画館を手に入れました。映画館が私たちの最初の教会に変わったのです。高速道路の脇にあって良く目立ちます。
かつて娯楽の中心として知られていた映画館が魂の憩いの場となったのです。礼拝も日曜学校もすぐにいっぱいになり、日曜礼拝は毎週5回行なわなければなりませんでした。
私たちの次のステップは日曜礼拝をテレビで放映することでした。アクロンにある地方のテレビ局では私たちの礼拝の音楽の部分と私の短い話を実況で流してくれていましたが、それは限られた地域だけでした。私たちはクリーブランドにあるネットワーク局から全米に放映することを目指していたのです。けれども、アメリカでさえ大きなテレビ局ではひとつの教会の番組だけを放映することはしないことになっていました。その上、当時はまだ、ケーブルやマイクロウエーブによってテレビ放映を配送する設備は限られた局にしかありませんでした。しかも、とても費用がかかり、大統領の就任式とかフットボールやワールドシリーズのような特別に重要な番組にしか使われていませんでした。もちろんアクロンのテレビ局にはそんな設備はありませんでした。
そこで私はクリーブランドのテレビ局と交渉し始めました。「私がマイクロウエーブの設備をアクロンとクリーブランドの間に設置し放映料も支払いますから。」と持ちかけました。担当者はびっくりしました。私もびっくりしました。そんな莫大な費用をどうやって払うことが出来るのか考えてはいなかったのです。けれども、担当者は「やはり局の方針ですから宗教番組はだめです。」と言い張りました。けれども、私は次の週も交渉に出かけました。そして、また次の週も。モデーミも私の妹のレオナとその夫ウエイン・ジョーンズも、私がテレビ局を訪問する回数を数え始めていました。
「今度で10回目ですよ。だめだと言うんだから、きっと局の方針でだめなんですよ。」
私は言いました。「私もそう思うよ。だけど、神が”よし”と言えば、”だめ”は無効になるさ。神はテレビ局の方針を変えることだってお出来になるんだから。」
12回目の訪問が何の効果もなく終った時、私はモデーミとレオナとウエインを呼んで「断食の祈りをしよう」と提案しました。私の父もしばしば断食の祈りをして神の助けを求めていたことをよく覚えています。
その時、ウエインは多分一度か二度の食事を抜くぐらいですむだろうと思って同意してくれました。けれども三日間続いた時には、さすがに不平をもらし始めました。
「たとえテレビ局が方針を変えてくれても、私たち皆が飢死したら何にもならないよ。」
私は21日間断食をして、やっと「神の御心だからもう一度テレビ局に交渉に行くべきだ」という確信を得ました。モデーミやウエインたちに祈っていてくれるように頼んで車に乗りました。エンジンをかけた時、聖書の言葉とともに、「まだだ」という声を聞いたような気がしました。
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ローマ8章14節)
私はいつでも神の御霊に導かれることを願っていました。そこで、もうしばらく車の中で祈り、神の導きを待ちました。けれども、「まだだ」という声は去りませんでした。
そこで、エンジンを止め車を降りて事務所に戻り、皆を集めて、「もう一度祈りましょう。」と呼びかけました。
ウエインが冗談交じりに言いました。「あなたをテレビに出させて、私たちを餓死させるのが神の御心かも知れないね。」私は笑って「黙って祈りなさい。」と言いました。
私の心から重荷が去るのを感じた時、私は祈りをやめて、テレビ局に向かいました。
アクロンにある教会からクリーブランドまでどれだけの時間がかかり、駐車場からテレビ局まで歩くのにどれだけかかるか全く知りませんでした。けれども神は全てを知っておられました。私が玄関に到着した時と全く同じ時間に、一人の人が玄関に入りかけていました。
私はその人を知っていました。彼はウエストバージニア州にあるラジオ局の支配人でした。彼の母親は何年も前に私の集会に来て信仰を持ったのでした。
「やあライアン。」 「やあレックス・ハンバード。ここに何をしに来たんだい。」 「いい宗教番組を放映するように交渉に来たんだ。」 「そうか私もあなたのテレビをアクロンで見たけど、あれは良かったよ。ここの局の支配人に紹介してあげよう。」 私はこの局の支配人には既に12回も会っていることは言いませんでした。
後で分かったのですが、彼はこの時にはこのテレビ局を含めていくつかの局の総支配人になっており、クリーブランドのテレビ局は彼の支配下にあったのでした。
こうして私たちは、すぐに、アクロンからクリーブランドまでの中継費用やクリーブランド局からの放送料などの具体的な話に入りました。最後にライアンは支配人に言いました。
「彼の番組はこの地域の人々に役立つから、時間を空けて彼の番組を放映しなさい。」
こう言って彼は部屋を出て行きました。起立したまま見送ってからその支配人は私の方を見て言いました。「どうして彼を知っていたんですか。」 私はわざと冷ややかにこう言いました。「そんなことはいいから、彼の言った通りにしてください。」
こうして、私たちのテレビ番組は次の週からクリーブランドのテレビ局から州全体に放映され始めました。
神は私たちの真剣な祈りを聞いてくださいます。私たちが導きに忠実に従っているなら、神は私たちを正しく導いてくださることが出来るのです。
もし、私がたったの15秒でも早く着いていたり遅く着いていたら、ライアンに会うことも出来ず、テレビの放映を受け入れてもらうことも出来なかったことでしょう。
私たちに十分な備えが出来ていさえすれば、遠く離れていたライアンと私をテレビ局の前でばったりと会わせることは神にとって何でもないことです。神はテレビ局の方針をも変えさせてくださいました。
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19章26節)