祝福のメッセージ:2007ー11

祝福のメッセージ 

レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より

No. 200711

神の家に帰って

 さて、ある女性が、ジョージア州で結婚式を挙げました。美しい結婚式、素晴らしい披露宴でした。この若い女性は家を飛び出し、さまざまな苦しみや悩みを経験してきました。子どもの頃から教えられてきたことに反発し罪の生活を送ってきたのです。でも、喜びはありませんでした。そこで、結婚に夢をかけたのです。これできっと幸せになれる、これからはバラ色の人生が待っているに違いない。新しい人生が始まるんだから。しかし、希望に溢れてスタートした結婚生活はたちまち崩れ去ってしまいました。彼女は何日もひとり部屋にこもり、どうしたら良いのか考え続けました。「なぜ何もかもうまくいかないのかしら。結婚すれば幸せになれると思ったのに・・・」ついに置手紙を残して、あとかたもなく姿を消してしまいました。今日までその消息は誰も知りません。この女性は皮肉にもそれまで役所で行方不明者を扱う仕事をしていたのです。今は彼女自身が行方不明者です。

 今も数え切れないほどの人が神のもとから迷い出て行方不明になっています。最高の教育を身に付けたり、あるいは金儲けに一生懸命かも知れません。幸せな結婚を夢見ているかも知れません。しかし、どんなに幸せを追い求めても、神をないがしろにしては全て空しいのです。神を締め出している人生には本当の幸せはあり得ないのです。人間には魂があり、その空白の部分が満たされるまでは決して満足はないからです。神が私の人生を支配なさる時、聖霊が私たちの心にお住みになる時、あなたも私も行方不明者ではなくなります。神に見出されて、神の家族に加えられ、故郷の家に帰ったのです。

 今も多くの人々が再出発を願っています。もう一度やり直したい。新しい仕事がほしい。新しい環境がほしいと。けれども何をやっても心は満たされません。イエス・キリストがあなたの心に入り人生を支配してくださるまではあなたは神の前に失われた人間です。

 今から2000年以上前に一人の人物がヨハネの福音書3章の中に登場してまいります。彼は品行方正で財産家で神を敬う人でした。何一つ足りないものはありませんでした。社会的身分もあり、神への捧げものや施しもしていました。この人はいろいろな面で優れた人物であったばかりか、パリサイ派の宗教家で、サンヒドリンの議員でした。ユダヤ人社会においては指導者として仰がれ尊敬されていました。しかし、心の奥底では自分が失われていることを感じていました。霊的な真理に対して心の目が閉ざされて理解できないことを感じていました。神の子と言われるナザレのイエスに出会い、その素晴らしい業を見たこの人は、人前をはばかって夜こっそりとイエスを尋ねてきたのです。イエスは快く彼を迎え、家の中へお招きになりました。彼は言いました。「あなたは神から遣わされた方です。そうでなければあんな奇跡は出来ません。盲人の目を開け、聞こえない耳を開き足の悪い人を癒して歩かせ、汚れた霊を追い出す、こんな奇跡は神から遣わされた方でなくてはとても行なうことはできません。また、神から知恵を授けられた方でなくてはあなたのように、神の深い真理を語ることは決して出来ません。」彼の魂は真理を求めて飢え乾いていました。イエスは言われました。「あなたは新しく生まれなくてはならない。」

 なぜなら、神の国は外にあるものではありません。教会に行くことでも教会員名簿に名前が載ることでもありません。神の国は正しい行いでもありません。神の国は心にあります。あなたが神の救いを知りイエス・キリストを信仰によってご自分の救い主として受け入れ、自分が罪びとであることを告白するなら聖霊があなたの心を宮として住んでくださいます。神の国は心の内にあるのです。多くの人々が神の国から迷い出ています。たとえ宗教的な儀式を守っても、あるいはこの世的には何一つ不自由ない幸せな身の上であっても神の国は分かりません。神の国はあなたがイエスを受け入れた時、内面から始まるのです。

 聖霊によって新たに生まれるまでは、あなたは神の国に対して失われた人間なのです。

 ニコデモは新たな出発を望み、新しい人生を求め、新しい希望を求めてイエスのもとに来たのでした。するとイエスははっきり言われました。人間的な正しさは神の前にはぼろに等しい。どんな莫大な財産があっても、神の国を買うことは出来ない。神の祝福は金では買えない。あなたは内に新しい霊を持たなければならない。

 人が新しく生まれると古い霊は取り去られ神の御霊が与えられ、かつて愛していたものがうとましくなります。ギャンブルを愛し酒を愛し快楽のちまたを愛し、神の掟を破っていたのに、今では神の戒めを愛するようになります。内面から変わるのです。キリストを心に持たなければ何も変わりません。急病で倒れたら恐怖におそわれます。一瞬はっとしてハンドルを切って事故を避けた時、心に死の恐れがよぎります。しかし、あなたが新しく生まれていれば心に平安があります。それはこの世が与えることも奪うことも出来ない神だけが与えることの出来る平安です。主はその霊的な体験のことを言われたのです。

 先ほどの女性はどうでしょう。失望落胆を重ねた挙句、新しい人生の出発を結婚にかけたのですが失敗に終りました。主を知らなかったからです。どれほど多くの人々がウイスキーのボトルに慰めを求めアル中になったことでしょう。多くの人々が結婚の夢に敗れたり、仕事に生涯をかけて裏切られました。マイホームを買ってもまだ満たされず心に平安がありません。あなたが神の前に失われた人間である限り平安はないのです。しかし、イエスがあなたの人生に入ってくださる時何かが起こります。全てが新しくなるのです。

 ニコデモは飢え乾いていました。「神の国がほしい。それについて知りたい。」その時イエスが言われたことを私たちも心にとめるべきです。イエス以外に私たちが救われる道は他にありません。イエスはあなたに神の御霊を溢れるばかりに注ぎ、あなたの内に住み、全能の神の力によって罪と罪の誘惑に勝たせてくださいます。全てを新たにする神の力が、あなたに必要です。イエスは、私が道であり真理であり命であると言われました。あなたに必要なのはイエスです。神の子であり人の子であるイエスをあなたの人生に迎えることです。あなたは道に迷っていませんか。何かがあなたを悩ませてはいませんか。魂は平安ですか。道に迷ったなら、主のもとに行きましょう。主がご存知だからです。

 こんな話があります。ある日シカゴの町を一人の警察官がパトロールしていました。日が沈みあたりは次第に暗くなってきます。すると子どもの泣き声がします。いかにも悲しそうです。彼があたりを見回すと小さな女の子が道端で泣いているではありませんか。彼はそばへ行って声をかけました。『お嬢ちゃんどうしたの。』 「おうちに帰れないの。」 『迷子だね。お家はどこ。住所はわかるかい。』 「わかんない。」 『道も住所もわからないんじゃ困ったね。』すると少女は言いました。「デュークならわかるわ。」 『デュークって誰。』 「うちの犬なの。デュークの後について来たけどいなくなっちゃって道がわからないの。」そこでこの警察官は少し考えてからこう叫びました。『デューク、デューク、来なさい。』 すると、たちまち大きなシェパードが走って来ました。警察官は女の子の手を取ると、この犬に命じました。「デューク、家へ。」犬は地面に鼻をつけ、尻尾をたれて歩き出しました。二人は後について行きました。次々と道を曲がりとうとう一軒の家に着くと、ポーチに座りました。警察官が戸をたたくと母親が飛び出してきて叫びました。「まあこの子はどこへ行ってたの皆心配していたのよ。」少女は道を知りませんでしたが、デュークは知っていたのです。

 私にはあなたのことは分りません。あなたの行くべき道もあなたの過去も知りません。現在のあなたの人生もあなたの未来も分りません。でも、ご存知の方がおられます。デュークではありません。その方はイエス・キリストです。イエスはあなたの過去を知りその全ての罪を消し去り全ての不義を清めてくださいます。この方はあなたの人生の必要をことごとく知り、その必要をすべての面で満たすことの出来る方です。この方は未来もご存知で、あなたを天の家、天の父の御許に連れ帰ってくださいます。頭をたれ目を閉じましょう。お祈りします。