祝福のメッセージ
レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より
No. 200801
主の手があなたに触れる時
さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。(マルコ1章40-42節)
2000年ほど前のことです。一人の人がイエスの前に出ました。彼の体はらい病のために朽ちかかっています。当時の医学ではこの苦しみから逃れる道は死しかありませんでした。ところが神の御子イエス・キリストがこの人を深く憐れみ、彼に触りました。するとたちどころに彼の肌は幼な子の肌のようにきれいになりました。彼は完全にらい病から解放されたのです。皆さんにお尋ねします。聖書に記録されているこの奇跡がイエスによって本当に行なわれたと信じますか。信じる人は手を挙げてください。これで皆さんは全能の神の超自然の力を信じていることを人々の前で告白したことになります。神をほかにしてはこのような力を持っている人間はいませんからね。
一瞬前までは腐りかけていた彼の体が次の瞬間、完全に癒されていたのです。これこそ神の超自然の力です。その同じ力が今日あなたや私に与えられます。イエス・キリストは昨日も今日もとこしえに変わりません。今私たちに必要なのは、神の御手で触れていただくことです。神に私たちの人生と家庭を癒していただくことです。私たちの心の汚れを清めていただくことです。そして、神の御霊を与えられてイエス・キリストに仕える生涯を送ることです。皆が互いに愛し合って生きることです。政治家や世の偉い人々は現代に何が必要かいろいろ論じています。しかし、私はこう信じます。私たちには昔ながらの聖霊、罪を滅ぼし魂を救う天からのリバイバルが必要です。それで全てが変わります。主の御業を求めようではありませんか。「尊き聖霊よ。どうかしばらくの時間、私たちの真中においでください。人々の心と人生にあなたの力による奇跡を今行なってください。イエスの御名によって、アーメン」
ある時、男の子が生まれました。親の期待を一身に受けてすくすくと成長しました。ところがやっと一人前になって家庭を持ち社会的な地位を築き、前途洋々たるこの人に突然病の兆候が現われました。病気はやがて全身に広がっていきました。彼の行くユダヤ人の会堂でも、人々が声を潜めて「最近のヨハネを見たかい。どうもおかしいよ。悪い病気じゃないかい。」とうわさし始めました。ついに、ある日、当時の掟に従ってラビが務めを果たすため正装してヨハネの家を訪れ戸をたたきました。出てきたヨハネに彼は言いました。「実はお前のことで妙な噂が流れているのでな。確かめに来たのじゃよ。掟によって命じる。手を出してみなさい。」彼が手を伸ばすと、ラビはひと目見て言いました。「なるほど、噂通りじゃ。お前はらい病じゃよ。我々の教えではこの病気は神の呪いだと言われておる。神がお前を呪われたのじゃ。我々はもうお前とはかかわりを持てない。二度と神の家に足を踏み入れてはならんぞ。」彼は戸を閉めて立ち去りました。神はもう彼を愛してはおられない。彼を呪っておられると言うのです。彼は神の家から閉め出されてしまったのです。それは苦難の始まりでした。間もなくまた誰かが戸をたたきました。戸をあけるとその人は彼に言いました。「私は町の保健所から遣わされて来たんですがね。近頃町中であなたのことがとかく取りざたされているんで、手を見せてください。」彼が手を伸ばすと相手は一目見て言いました。「噂は真実らしい。今後はいっさい人前に出て行っては困ります。職場に働きに行くことも禁止します。健康な人とは会わないでもらいたい。家族と一緒にここで暮らすことももう出来ない。とにかくすぐここを出て、町はずれの今は使われていない古い墓地で社会から離れて暮らしなさい。道を歩く時には大声で、『私は汚れた病人です』と叫ばなければならない。誰かが知らずにあなたに近づくといけないからな。」彼は泣く泣く家族を離れて出て行きました。「汚れた病人です」と叫びながら町はずれに来ると、道は次第に細くなって石ころだらけの小道がずっと谷底へと続いていました。そこにうごめくものがありました。世に捨てられた人々です。苦痛にうめき泣きながら死んで行く人々でした。夜も昼もそこが彼の住む処でした。
彼は何度も叫びました。「なぜだ。なぜ私がこんなひどい目に合うんだ。」しかし答えはありません。人生の大きな謎です。聖書は「これこそ罪の本質を表している」と教えています。罪も始めはほんの小さいことから始まります。小さい斑点のようなものです。しかし、罪の病巣はやがて全身に広がって行き人間の幸せを奪い人生を破滅に導くのです。罪は引き離す力です。先ず初めは私たちを神から引き離します。私は罪が一家の主人を家族から引き離すのを何度も見ました。かつては愛し合っていた二人なのに、罪がその愛を憎しみに変えたために殺人が起こることも少なくありません。サタンは人の幸せを盗みまた殺し滅ぼします。しかし、イエス・キリストは私たちに命を与えるために世に来られました。あなたにはこの人の苦悩が想像できるでしょうか。宗教界から追放され「呪われた者だから二度と来るな」と言われたのです。社会からもつまみ出されました。「私たちのそばへ来ないでくれ。汚れた者はあっちへ行ってくれ。」彼は自分の妻と子どもたちからも引き離されてしまいました。この暗黒の中で彼には何の希望もありません。
そんなある日、彼は近づく足音を聞き、「汚れています」と叫びましたが相手はそのまま彼に近づいて、手を差し出しました。彼はその顔を見上げて言いました。「ビル。ビルじゃないか。」するとビルが言いました。「私も仲間と一緒にここにいたことがあったけれど、イエスという新しい預言者の噂を聞いてね。その方は盲人の目を開け、病人を癒し、足の悪い人を歩かせ、死んだ人さえ生き返らせたという話だった。そういう方ならと望みをかけ、10人の仲間がそろってその方を訪ねて行ったんだ。人ごみの中から『主よあわれんでください』と叫ぶと、『何をしてほしいのか』とおっしゃるので『この病気からお救いください』とお願いした。するとイエスは私の病気を完全に癒してくださった。私は君のことを思い出してね。もし主が私を癒せたのなら君も癒してくださるよ。」
今、世界中に必要なメッセージは何でしょう。それは男性も女性も老いも若きも、主イエスに何かをしていただいたならばそれを人に分け与えることです。この人は苦しんでいる友達のところへ行って難しい理屈など話しませんでした。ただ主が自分に何をしてくださったかを話したのです。すると彼は言いました。「私もその方に会いたい。」そこで「汚れています。」と叫びながら進むと、人々は彼から逃げました。彼はついに人垣を見つけて中に入って行きました。彼の声に恐れた人々が道を空けたので、彼は神の御子イエス・キリストと顔と顔を合わせて立ちました。彼は言いました。「主よ、お心ひとつであなたは私を癒すことがお出来になります。もし、私を心にかけてくださるなら癒してください。」
よくお聞きください。イエスに愛されない人はいません。主は私たちを心にかけ、私たちの悲しみに目を留めてくださいます。どんな時も主は決してお見捨てになりません。「私のことを気にしてくれる人などいない。」と、暗く長い夜を泣きながら過ごしたことはありませんか。イエスはそれを知っておられます。
この人は言いました。「主よ、御心なら私を癒してください。」するとイエスは手を伸ばして彼に触りました。イエスに触っていただいて何の変化も起こらなかった人はいません。アル中がイエスに触れていただくと、酒から開放されます。問題のある家庭、争っている家族にイエスが御手を伸べてくださる時、その家庭はまるで天国のようになります。覚せい剤や悪い習慣に縛られ、罪の奴隷になっている若者にイエスが触れてくださるとそこに必ず変化が起こります。ふり返ってみますと、あれは私が13才の時でした。主は私が悔い改めの涙を流して祈った時、私に触れてくださいました。あなたはどうですか。
聖書によると、彼のらい病は即座に完全に消えました。彼はその場で癒されたのです。イエス・キリストは罪の泥沼の中へ御手を伸べて私たちを引き上げ、堅い岩の上に立たせてくださいます。私はそれを何度も見て来ました。しかし、この話にはもう一つ大切な面があります。この人がもっと早くイエス・キリストに出会っていたらどんなに良かったでしょう。彼の病が小さな斑点にすぎないうちにイエスに会っていたら、どんなに幸せだったことでしょう。そうしたら、あんな苦しみは避けられたのです。
イエスはあなたに御手を伸べあなたの必要を満たしたいと願っておられます。あなたの内に潜む汚れた思いが汚れた行ないとなってあなたを神からも愛する者からも引き離してしまう前にイエスに触れていただくのです。罪の病巣が広がらないうちに、今イエスに触っていただいて、幸いな人となってください。