祝福のメッセージ
レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より
No. 200803
主は私たちの祈りを聞かれる
今月は特別な月です。私たちはイエス・キリストの十字架の苦しみと死とを思い、特別に祈りをささげてきました。祈りのリクエストを十字架のもとにさしだして、信仰によってイエス・キリストの十字架による罪のあがないを受けとめました。ですから、今度は祈りを聞いてくださる主に感謝すべきです。
先ほど、リズがこの番組の中で「祈りが答えられた。」と言われる方々を幾人か紹介しました。大きな励みですね。そこで、どうぞあなたも祈りのリクエストを出して、その祈りが答えられた時にはそのことを手紙で私たちにお知らせください。神は祈りに答えてくださると私は確信しています。祈りが答えられた時には皆で感謝をささげましょう。「主よ。祈りに答えてくださりありがとうございました」と。祈り求め、それが答えられたら、主に感謝するのです。
さて、聖書の中でイエスは「二人、また三人が私の名によって集まるところには私もその中にいるのだ」とおっしゃいました。教会ではよくこの言葉を引用します、ともに集まる時には主もそこに一緒にいてくださると言います。私たちも信仰によって祈りの家族としてともに集まっているのです。私たちは主の御名によって集まっています。ですから、イエスは今私たちのまん中にいらっしゃいます。あなたのかたわらにおられて、あなたのことはすべてご存じです。名前も、住んでいる所も、髪の毛の数さえも。主はあなたをあなた自身よりよく知っていらっしるのです。主は同時に、私のそばにおられます。私たちは主の御名によって、ともに集まっているからです。
ところで、イエスがあなたのお宅にいらっしゃったら、何をして頂きたいですか。神のことばを読んでみましょう。新約聖書マルコの福音書3章です。
イエスはユダヤ人の会堂に行かれました。立派な巻物の旧約聖書が置いてあったでしょうから、会堂の中でイエスが話題に取り上げることの出来るものは沢山あったことでしよう。
それらについて何かを言ってもよかったでしょう。その伝統ある会堂の美しい造りを見まわして感嘆の言葉をはいたとしても不思議ではありません。立派な柱とか、後ろの方にご婦人の席として造られていたバルコニーとか、祭司たちの着ている立派な上着をほめてもよかったでしょう。しかし、主の関心はほかにありました。
主イエスはそこで、間題を抱えて悩んでいる一人の人に目を止めました。イエスが私たちのうちにいらっしゃるとしたら目的があってのことです。私たちの人生をのぞき込んで私たちの問題に目をとめ、そこに助けの手をさしのべるためです。
私たちは今祈りの家族として集まっており、イエスも一緒にいてくださいます。主はあなたの悲しみを知っておられます。皆さんの中には家庭に間題を抱えていらっしゃる方もいますね。主はご存じです。ある方は精神的に、大きな苦悩を味わっているかも知れません。あるいは失業して経済的に行き詰まり、生活苦と戦っているでしょう。これをお聞きの皆さんの中には病気の方、あるいは入院している方もいらっしゃるでしょう。
もしかしたら、医師も手を尽くしたあげく深々と頭を下げて「もう手は尽くしました。」と言って出て行くかも知れません。
二人または三人がイエスの名によって集まるところには、イエスがいてくださいます。
だから今日、私たちの中に主はいてくださるのです。その目的はたった一つ、私たちの必要をごらんになりその必要をことごとく満たすということです。
その日、主は会堂にお入りになると人々を見回しました。すると、後ろの方にかくれるようにしている一人の人が目についたのです。片手の萎えた人でした。主は私たちに必要を告白させます。神は何でもお出来になる。しかし、神にはまげられない法則があるのです。得られないのは求めないからです。主は私たちの必要を満たす力をお持ちですが、まず、私たちの方から求めてこそ、与えられます。捜してこそ、見いだします。門を叩いてこそ、開けてもらえます。
主は言われました。「全て重荷を負っている人は私のもとに来なきい。私が休ませてあげよう。」鍵となる言葉は「来なさい。」です。主はまず、あなたに行動を要求なさいます。
そこで、主はまず、手の萎えた人にこう言われました。「さあ、そこから立ち上がって出てきなさい。」その人は人々の面前に萎えた手をさらして出てきました。
手が不自由だといろいろ困りますね。その手では自分で食事が出来ません。自分で着替えも出来ません。彼の手は役に立たなかった。プラスとなるどころかマイナスでした。
イエスが私たちの人生をごらんになると、悪い習慣、罪、疑い、恐れ、私たちの人生の汚点となり、神の栄光を汚す様々の問題があります。主は私たちを助けたいのです。
そこで、主は彼に「出て来なさい。」と言われました。必要を認めるのが第一です。次は行動です。「手を伸ばしなさい。」と、主は彼にお命じになりました。主は言われました。求めなさい。そうしたら与えられます。手をこまねいていないで必要を告白し、助けの源へ行って求めるのです。必要は満たしていただけます。
聖書によれば直ちに、その手に力がよみがえりました、彼が萎えたその手を伸ばすと、その手は正常になりました。
「二、三人が私の名によって集まる所に私もいる」と言われた主は、今ここにおられます。
私は主があなたの必要を満たしてくださることを信じて、今お祈りします。
「尊き主よ。御手を伸べて病人をお癒しください。病気で伏している人々を立ち上がらせてください。罪を犯した人を哀れみその罪をお赦しください。家庭に問題を抱えている人々の人生にどうかお働きください。経済的必要を満たし、心に平安を与え、魂に勇気と希望をお与えください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。」
あなたのために祈っています。あなたの必要はきっと満たされます。あなたの必要が満たされた時にはぜひ手紙でお知らせください。