祈りの家族への手紙:2008-04


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。
 主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
 (ペテロ第二の手紙 3章8節)

 子どもの頃、時間が過ぎるのがとてもゆっくりで、遠足にしても、誕生日にしても、楽しみにしている日が来るのがとても待ちどうしかったことを覚えています。一日も今よりも長く感じられ、時間が過ぎるのがもっとゆっくりでした。自分が年を重ねて大人になることなど、ずうっとずっと先の事と思っていました。

 ところが今ではどうでしょう。あっという間に一日が終わり、一週間も、一ヶ月も、すぐに過ぎてしまいます。これでは、後期高齢者の仲間入りの日も、そう遠い先のことではなさそうです。

 千年とまではいきませんが、確かに1週間が一日のように過ぎて行きます。おそらく、神の目には、私たちの地上の生涯などはほんの一瞬の出来事に違いありません。人類の歴史そのものも神の目には一瞬の出来事です。けれども、それでもいいのです。それでも私たちは幸せに生きられるのです。

 肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。(イザヤ40章6節)

 「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6章29、30節)

 私たちの生涯の全ての時間を神は知っておられ、愛を持って見届けてくださいます。

 これは中国の古い話ですが、一人の老人が芋を煮ながら居眠りをしていました。夢の中で長い長い自分の一生の出来事を見ました。いろいろな出来事がこと細かく夢の中に出て来ました。目が覚めて、さぞかし、長い時間が過ぎて、芋も煮詰まってしまったことだろうと思いながら調べてみたところ、まだぜんぜん煮えておらず、火も薪も燃え尽きてはいませんでした。長い生涯の夢を始めから終わりまで見ていた時間がほんの一瞬のことだったのです。

 あなたもご自分の生涯の出来事をいろいろと思い起こすことがおありになることでしょう。全てがあっという間の出来事のように思われるかも知れませんが、その一つ一つの中に人には言えないさまざまな気持ちがこもっているに違いありません。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、くやしかったこと、苦しかったこと、あるいは恥ずかしかったことも数え切れません。それはあなたの心の中にぎっしりと詰まって納められているあなたの生涯です。短かったかも知れませんが、長くもあったのです。私たちの人生がどんなに長くても、あるいは短くても、始めから終わりまで全てを神は知っておられます。

 千年といえども御目には昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。(詩篇90篇4節)

 確かに、神の前には千年も一日のように過ぎ去ります。しかし、同時に一日が千年のように長くもあります。私たちは主にあっては短い一日も千年のように長く有意義に生きることも出来るのです。

 愛する者が救われるように、子どもたちが、親が、夫が、妻が共に永遠のいのちを持つようにと祈っている方が大勢います。私もその一人でした。神はその祈りの多くに答えてくださいましたが、まだ祈り続けています。その祈りに込めた神への願いは、その人が救われることだけでは終わらないからです。その夫も、その妻も、その子どもたちもと何世代にもわたって続くのです。

 私の救いのためにも祈ってくれていた方がいたことを私は知っています。その多くがもうこの地上にはいません。けれども、その祈りは私を通して、また私の後に続く者たちを通して、今も生き続けているのです。あなたの祈りもそのように長く生き続けるものにすることが出来ます。

 「生前、父や母が私のためにどんなに心を込めて祈ってくれていたかが、今になって分りました。」と言って信仰を持ち始めた方を、私は大勢知っています。祈っていた人が世を去っても、その祈りは働き続けていたのです。あなたの一日も、後になって何年何十年にも値するものになり得るのです。私たちが過ごす一瞬一瞬の時間の中に、神は驚くほど多くの可能性を与えてくださっているからです。

 「私は年をとってしまって残る時間もそう長くはないので、今さら何もたいしたことは出来ない。」と思ってはおられませんか。もしそうだとしたら、それは大間違いです。あなたの一日はとても価値があり、有意義で長い一日にすることが出来るからです。その一日を千年にも匹敵する貴重な時間にすることもできます。有意義な時間を過ごすことは、一生懸命仕事に励むことだけとは限りません。人と接する時にも良い時間の過ごし方があります。思いやりを持った優しいことばで人を励ますこともすばらしい時間をつくります。あなたが生き生きと楽しく過ごしている姿を見せていることだけで、ある人にとってはとてもすばらしいことに見えて、それを見習って生きる人もいるかもしれません。祈りによって神と語り合うことによってもすばらしい時間をつくることが出来ます。あなたの一日が神の目には千年にも値する時間となることを心から願っています。

 これからも、一日一日があっという間に過ぎて行くかも知れません。けれども、決して心配する必要はありません。その一日一日を、心を込め、思いを込めて、神の手に握られた千日にも値するほど有意義な時間として生きていこうではありませんか。

 あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。(詩篇84篇11節)

 「人の一生は短くてはかないもの。諸行無常で、全てのものは移り行き、定まるところのないもの。」と言われていますが、クリスチャンにとってそれは違います。イエス・キリストを通して全てのものの創造主である神を身近に知っている者には、永遠の時が備えられているからです。ですから、地上の生涯がどんなに短くても、たとえ一瞬の間であったとしても不幸ではないのです。有意義に楽しく幸せに生きられるのです。しかも、それを償ってなお余りある永遠の時が、それに続いているのです。

 どうかイエス・キリストをいつも身近に感じつつ、日々を有意義にお過ごしください。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛