祈りの家族への手紙:2008-05


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 今年の8月1日には中国で、また、来年の7月22日には21世紀で最も長い時間続く皆既日食が日本の一部の島でも見られるそうです。一般の人には何の兆しも見えていないのに、何年も前から日食が見られる地域や日時まで正確に分るのです。

 神が造られた物は何一つとして無秩序というものがありません。全てその法則に従って動いています。宇宙の隅々まで、どんなに複雑に入り組んでいても、全ての物質が例外なく、それぞれに与えられた自然の法則に従い、何一つその法則から外れることはありません。何億年も前から今に至るまで黙々と従い続けています。またこれからも従い続けることでしょう。天文学者たちは、これから何年も後に起こる日食や月食も、その他の星の動きも計算して予告することが出来ます。自然は寸分違わず神が定められた法則に忠実に従って動いているからです。その法則さえ分かればどんな天体の動きも比較的簡単に予測できるのです。

 ところが私たち人間の場合はそうではありません。あの偉大な使徒パウロはローマ人への手紙の中でこう告白しています。

 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。  私は、ほんとうにみじめな人間です。(ローマ7章19、24節)

 人は誰でも万物の創造主である神を敬いその意志に従いたいという思いを持っています。けれども実際にはその意志に背いてしまうことの方が多いのです。

 これをすべきだ、あれもやった方がいいと思っても実際にはなかなか実行出来ないことがあります。力が及ばなかったり、やる気が起こらなかったりします。その逆に、これをしてはいけない、あれはやめた方がいいと思ってもその通りには行かないことがあります。私たちの思いとは逆のことをしてしまうのです。私たちの心の中では良いことに駆り立てる力よりも、悪いことに流される力のほうが強く働いていることが分かります。

 聖書はそれは罪の力であると言っています。人が神の意志に背いて以来、この罪の力は私たちを支配し続けているのです。

 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。(ローマ7章20節)

 人間にはもともと自由意志が与えられています。神に従うことも背くことも自分の意思で選ぶことが出来るのです。神は全ての被造物を完成なさった時、それに満足してお喜びになりました。

 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。(創世記1章31節)

 けれども人はそうではありませんでした。人は神の命令に背くことを選んでしまったのです。

 神の法則に従うこと以外には選択できない他の被造物と人間とではその点が大きな違いです。神は全ての被造物の中で人間だけを特別なものとして造られたのです。それは神と人とがより高度で親密な関係を持つことが出来るためです。イエスは言われました。

 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネ15章15節)

 ですから、あなたが善を行なうことに失敗してしまった時もあまりがっかりしないでください。神の期待に応えることが出来なかったという気持ちさえあれば何度でもやり直せばいいのです。神は初めからの優等生よりも神に立ち返る放蕩息子の方を愛し、いつくしんでくださいます。

 私たちは皆、かつては神を知らず、神を愛さない、自分勝手な放蕩息子のような者ではなかったでしょうか。けれども、イエス・キリストによって今は罪を赦され、神の子どもとなって溢れるばかりの愛を受けているのです。

 神が人間に自由意志をお与えになったのは私たちに特別に愛を注いで他の被造物とは違うものとしてお造りになるためでした。自由意志を与えられた時点では私たちはまだ完成していなかったのです。不従順の罪が神の子の命という代価によって贖われて人類の再創造が完成するのです。

 ですから、神に完全には従うことが出来ずに罪を犯してしまっても、神に背いたことを自覚し、その罪が神の子イエス・キリストの十字架の死に値するものであったことを認めて神に立ち返るなら、それこそ、神が創造の初めから願っておられたことなのです。

 私たちは今、罪と戦い、神の御心に従うことを選ぶ実習訓練中なのです。ですから、困難の中でも神に信頼しましょう。失敗も恐れなくていいのです。互いに祈り合い、神の助けによって失敗を乗り越え、より忠実な神の友となれるよう努めようではありませんか。何度失敗しても、迷うことなく神に立ち返るなら、それは良い選択となるのです。あなたに自由意志をお与えになったのは神だからです。神のもとに帰りさえすれば、神は赦し、助けの手を伸べてくださいます。

 パウロは「願っている善を行わないで、願っていない悪を行なっている自分はだめな人間だ」と言って自己嫌悪に陥っているのではありません。彼はこう続けています。


 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。 

 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ7章25、8章1、2節)

 やがて私たちは完成し、神の友として永遠に生きる者となるのです。

 あなたは愛されているからです。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛