祈りの家族への手紙:2008-07


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 最近、テレビのニュースで事件が報道されるたびに、マイクを向けられた一般の市民が、「もう何を信じていいのか分りません。」と言うのをよく耳にします。偽りの表示にだまされていたり、突然の事件に巻き込まれて被害を受けることになったり、信頼していた役人たちの不正が発覚したりして、「周りの人々も、政府のやることも、もう何も信頼できない。」と言うのです。確かにそう言いたくなる出来事が続いています。老後の頼みにしていた年金制度さえ、何となく怪しくなっています。物価高が進み、生活に必要な物の値段がますます高くなりました。私たちはいったい何に信頼を置いたら良いのでしょう。

 久しぶりにアメリカに行くことがあり、デトロイト空港で待合室の椅子にかけて乗り換え便を待っていました。時間があったので、飲み物を買った時のお釣りのコインを見ていました。そこには肖像や金額と一緒に“IN GOD WE TRUST”という文字が刻まれていました。「私たちは神に信頼を置く」という意味です。前から知ってはいたのですが、改めてその文字を見て、心を刺される思いがしました。そこで、紙幣も取り出して見ました。やはり、そこにも同じ言葉が印刷されていました。

 “IN GOD WE TRUST”「私たちは神に信頼を置く」

 お金は現代の人々が頼みにしている物質的な豊かさを象徴しています。私たちはそのような持ち物や財産をたのみにするのではなく、神に信頼を置くべきです。

 「お金さえあれば・・・」「お金がほしい。」「老後の経済的な保障がほしい。」と、お金だけに心が向けられているとしたら、必ず失望させられます。現に多くの人々が失望しかけています。人生にはもっとすばらしい、もっと価値のある大切なことがあります。

 第二次世界大戦直後のこと、人々が苦労して蓄えていたお金が紙くず同様になったことがありました。お金は国が保証している限りは価値があります。けれども国がだめになってしまったら、お金には何の値打ちもありません。

 その頃、私の父も、貧しい中から苦労して私のために学資金を積み立ててくれていたました。けれども、いざ進学という時に受け取った金額はノート1冊分しかありませんでした。お金を頼りにすることは出来ません。しかし、学資の蓄えはなくても何とか進学をすることは出来ました。

 お金は大切です。お金は必要です。お金がなければ現代の社会は成り立って行きません。けれども、それが全てではありません。お金は生活の手段として活用出来る便利な道具に過ぎません。

 お金に心をとらわれてはいけません。私たちの目をお金よりも大切なものに向けさせてくれるのが、「私たちは神に信頼を置く」という言葉ではないでしょうか。

 私たちの人生の全てにおいて、神に全面的な信頼を置きましょう。

 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。
 そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言3章5節6節)

 神に信頼を置く、とはいったいどうすることでしょう。

 私たちは自分の行ないや計画を自分の知識を最大限に生かして行なうことに慣れてきました。ある意味ではそれは良いことです。無分別に自分の思いのままに事を行なうよりも、知恵を用いて注意深く計画を立てることは大切なことです。けれども、それが全てではありません。私たちの知恵や能力には限界があるからです。

 私たちの人生には、手に負えない、理解できないこと、どうにもならないことが必ず起こってきます。自分の知恵や経験だけに頼っていると、どうすることも出来なくなってしまいます。多くの人が破滅に追い込まれ、自暴自棄になり、自殺を選んでしまったりするのはそのためです。

 「自分の分別に頼らず、常に主を覚えて道を歩け」と聖書は教えています。私たちが今持っている知恵や知識は、生まれた時からもともと持っていたものではありません。置かれた環境の中で経験や努力によって得たものですが、そこにも神は確実に働いてくださっているのです。それを認めて人生に主の導きを受け入れるなら、主はこれからも私たちに必要な知恵や知識を与えて、人生のあらゆる場面において神の知恵により御心に照らした正しい道へと導いてくださいます。自分の分別に頼り、人間的な策略によって、大きな失敗や破滅に陥らないためです。全てを自分の力だけで行なおうとせず、いつでも謙虚になって神が働いてくださることを認め、期待して、人生に神の働かれる領域を空けておくのです。最後には全てを神に引き受けていただくためです。

 神はイエス・キリストによって私たちの罪を引き受け、私たちを赦し、私たちの人生に入って共に歩んでくださいます。神に信頼を置く人生は、神が遣わしてくださったイエス・キリストを主として心に受け入れてともに歩む人生です。ちょうど二人三脚のように、私たちが自分に出来ることや自分の果たすべき分を主イエス・キリストのリードに従って一生懸命行なっていれば、私たちが倒れそうになったり、手に負えない時や、行き詰った時は、主が私たちを支えて働き続けてくださるのです。人生にはうまくいかないことや、手に負えない出来事がいつでも起こり得るからです。けれども、主ともに歩む人生なら心配はありません。私たちに出来ることは、主を失望させないよう力いっぱい頑張り、出来ないことは全て、主にお任せすればよいのです。

 「社会制度や物価高はこれからどうなるのか、お金のことで将来を思い煩わないで安心して過ごせるようにしてほしい。」と思う人は多いことでしょう。それらは皆大切なことですが、私たちの安心はお金だけによってもたらされるものではありません。神に信頼を置き、神が私たちのために遣わしてくださったイエス・キリストとともに人生を歩むなら確かな安心が得られます。

 「私たちは神に信頼を置く」と心に決めるのです。

 あなたは今、もう既に、神に全面的な信頼を置いて、主イエス・キリストとともに歩んでおられますか。神の教えと知恵を判断の土台としておられますか。もしそうなら、何も心配は要りません。何があっても、共に歩んでくださる主に信頼してお任せすることが出来るからです。私もあなたのためにお祈りしています。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛