親愛なる祈りの家族の皆様。
かつて、私がまだ若かった頃、大勢の人々が短波無線によって、世界中の知らない相手と話し合ったり、意見を交換したりしていました。私はその高価な無線機やアンテナが買えなかったので参加したことはありませんでしたが「私もやってみたい」といつも羨望の目で見ていました。
今では、インターネットが普及したため、個人的な短波無線はほとんど使われなくなりました。そして、若者たちを始め、多くの人がインターネットを通じて世界中の人と交わり、意見を交わしたり友だちを作ったりしています。
私も遠くに住む子どもたちや友人と話し合ったり情報交換をしたりして便利に使っています。ところが、不確定の相手との交流は思わぬ危険を招くことがしばしばあり、社会問題になっています。何の目的で何を考えているのか分からない相手との交流はどんなことに発展するか知れないからです。
けれども、祈りによって神との交流を持つことは特別です。電話線も電波もコンピューターも必要ありません。神はいつでもどこにでもおられ、語りかけさえすれば聞いてくださるからです。その上、子どもからお年寄りまで安心して交わりを持つことが出来る相手です。神はどんなことでも知っておられ、全てを私たちの益にしてくださるからです。
「神は私たちが祈る前から私たちが何を求め、何を必要としているのかも知っておられるなら、なぜ祈る必要があるのか。」とおっしゃる方がいます。確かに、神は私たちが祈る前から私たちの必要をご存知です。そして、ほとんどのことを、私たちが祈らなくても行なってくださいます。
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、
あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
(マタイ6章8節)
けれども、祈ることは大切です。自分の言葉で今の必要を言い表わして、神に願うべきです。それは、私たちが神に語りかけ、神との関係をより一層深めることが出来るためです。
神と交わるためには私たちが清い心を持たなければならないとか、完全でなければいけないと考える必要はありません。神の方から私たちとのより親密な関係を求めておられるからです。
アダムとエバが神の命令を破って罪を犯した後にも、神は彼らとの交わりを求めて彼らに呼びかけておられます。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたは、どこにいるのか。」
(創世記3章9節)
親密な関係を持つことは、ただ頭で分っているだけでは成り立ちません。心と体で相手を感じ取ることが必要です。
あなたは忙しい毎日の中から神と過ごす祈りの時間を持っておられますか。人は神と親しく交わることなしで人生を終ってはいけないのです。
神の願いは荘厳な大聖堂での厳かな儀式ではなく、造られた人間のひとりひとりと親しい交わりを持つことです。私たちが祈りの中で神と語り合って時間を過ごすことを最も喜んでくださるのです。それは、やがて私たちが神とともに顔と顔を合わせて過ごす永遠の時のためだからです。
子どもの頃、友だちの家に初めて招かれたことがありました。何となく彼のお父さんが怖くて近づきがたく、楽しく時間を過ごすことが出来ず、早く帰りたくてしかたがありませんでした。
一方、以前からお父さんのことを良く知っていた友だちの家では、家族全員とうちとけて、いつでも楽しく過ごすことが出来ました。
親しい関係は即席で成り立つものではありません。長い時間をかけて理解し合い、築き上げるものです。
神との交わりも同じです。誰でも始めは主の祈りを繰り返すだけの単純な祈りから始まります。祈りの時間もすぐに終ってしまうかも知れません。それでもいいのです。それが少しずつ成長して、やがて、大きな困難や、誰にも話せないような悲しみを打ち明けて慰めと平安を得られる時となり、何物にも変えがたい大切な祈りの時間となるのです。神は生きておられ、私たちの祈りを聞いておられるからです。そして、あなたとの親しい交わりの時を持つことを切に求めておられるのです。
仕事に忙しい父親になかなか遊んでもらえない子どもが、出がけの父親に尋ねました。「お父さんの時間いくら?」何を言いたいのか分りかねた父親は「時給20ドルだ。もう行かなきゃ。」そう言って急いで会社に出かけてしまいました。
その日も遅く帰って来た父親に子どもが言いました。「お父さん10ドルちょうだい。」父親は怒って言いました。「子どもが10ドルも何に使うんだ。馬鹿なことを言っていないで早く寝なさい。」子どもはすごすごと自分の部屋に行きました。後で可愛そうに思った父親は10ドルを手に子どもの部屋に行きました。子どもはまだ目を覚ましていました。目に涙が光っていました。「怒ったりして悪かった。ほら、10ドル。」子どもは飛び起きて言いました。「お父さんありがとう。ぼく、ためておいた小遣いがあと10ドルあるから、これでお父さんを1時間買えるね。」子どもはお父さんと一緒に過ごしたかったのです。それさえ出来れば何もいらなかったのです。
神に似た者として造られた人間には人格的な交流が必要です。誰もが他の人との良い関係を求めています。人はひとりでは生きていけないのです。人が人と親しい関係を持てることは素晴らしいことです。物語の中にも実話にも、感動的な人間関係が語り継がれています。けれども、さらに素晴らしい関係は私たちの造り主である神との交わりです。それは最も大切な親子関係です。
祈りを通してありのままの自分の姿をさらけ出して、神との親しい関係をつくり上げてください。神は今も、また永遠にも、あなたとの親しい交わりの時を求めておられます。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛